わおーーーー!!
↓ 夏休みに読みたい本メモ
↓ ボスに借りている本
面白すぎーーー
ゆっくりじっくり読んでたら1週間に1ページっていうおそろしいペースで。いつお返しできるだろうか・・・(笑)
わおーーーー!!
↓ 夏休みに読みたい本メモ
↓ ボスに借りている本
面白すぎーーー
ゆっくりじっくり読んでたら1週間に1ページっていうおそろしいペースで。いつお返しできるだろうか・・・(笑)
著者は予防医学研究者。人間関係と「健康」の関係を、根拠のない精神論ではなくデータに基づいた研究結果からご紹介!
友だちの数、というか「人間同士の接点(つながり)の多様性」がキモ。
濃ゆい人間関係=なかよしこよしがダイジって意味じゃないよ。濃い人間関係は「単調なつながり」になるから、逆に好ましくない面もある。
一本の太いパイプに全てを委ねるより、あちこちに張り巡らされるネットワークのなかに自分を位置づける。
所属するコミュニティ(つまり自分の居場所)もたくさんあったほうがいい。コミュニティの規模は大きければ大きいほどいいってわけじゃなく、人間の脳のサイズ的には150人がだいたい定員。チンパンジーは65人くらい。
あちこちにつながりがあると、強いつながりだけじゃなくて弱いつながりもできる。弱いつながりは、人生を展開させてくれる。新しい情報や価値観、視点をくれるから。
具体的なつながりづくりのアイディアもいくつか紹介されていた。マイクロソフトのthink weekという取り組み、大学研究者のサバティカルなどなど。
つながりは居場所であり、逃げ場。
この世で最大の不幸は、戦争でも貧困でもありません。人から見放されて、自分は誰からも必要とされていないと感じることです
(マザーテレサの言葉)
人間の悩みのほとんどが人間関係、だったっけ。当然ストレスが健康に関係してくるわけで。物理的(身体的)ストレスと精神的ストレスの違い、健康に影響を与える仕組みについても書いてあった。
ストレスに対する反応にファイト・フリーズ・フライ(闘う・かたまる・逃げる)があるけど、もうひとつ。ビー・フレンド。
Be Friends、おともだち作戦、かな。
本書ではおしゃべり、として紹介。女の人は「うんうん」とすぐに分かる。お喋りのストレス発散効果!これも「つながり」による健康効果のひとつ。
ただし愚痴を言うのはその瞬間だけ興奮状態になってスッキリしたような気になるけど、寿命は縮む。呪いは自分に返ってくるってこのことね(笑)
あと、「自分でコントロールできない」と感じることはかなりのストレスになる。
イギリスのgratitude visit(感謝の訪問)という活動が紹介されている。感謝の気持ちを言葉にして(手紙にしたためて)相手に直接渡しに行く。
誰かに感謝することで、幸せな気持ちになる。健康になる。
メールじゃなくて、直接手渡しに行く。自分のコトバを。
もうすぐお盆です。
この感謝の訪問は、故人に対して、でもいい。
思い返すことで、「つながり」が生まれる。
寄付の金額が幸福度にも関係してくるらしい。
与えることで、幸せを感じる。幼児さんはもらうことよりも「どうぞ」を喜んでするように、これは人間に備わった本能なのかもしれない。
Giverですな!
与えること、つながりを維持することを促す遺伝子の存在と、逆につながりを避ける遺伝子の存在。その両方があるから、人間は発展してきた。
もし全員が全員つながりを求めて一か所にくっついていたら、人類は環境の変化やらなんやらで滅びてしまう。孤独を求めて集団からはずれるヤツラがいつの時代も一定数いるから、うまいことばらけて、うまいこと発展する。
つながりを求めないのもまた、多様性。
「バカな蟻」の話を思い出した。
蟻って総重量が地球上ナンバーワンだったか、数が地球上ナンバーワンだったか、そういうわけで「最も発展したコミュニティを形成する生物」として研究した人がいるんだって。
きっと蟻が発展した秘訣はチームワークにある、と踏んで情報伝達能力に注目してみると・・・意外に連絡ミスが多かったり空気を読まない「バカな蟻」がいたりする。
もしひとつの大きな角砂糖に全アリが隊列を乱さず真面目に集中して運んでいたら、それがなくなった時に全員オシマイ。道を間違えるバカな蟻が新しい場所をみつけてくれるから、可能性をひろげる。
・・・そんなような話だった気がする。
幸せを感じるパターンも、遺伝子の影響が大きいらしい。
どれが強い?私は2が強いかな~~「アハッ」の快感。
身体的な健康状態の影響力をパーセンテージで分けると
遺伝、医療制度は個人でどうこうするのは大変だけど、生活習慣・・・ダイジよね。理屈で分かってても行動を変えるのは難しいのが人間ダケドモ。
それはこういうテクニック(ナッジ!!)を使う!
そんでもって精神面で言うと
収入に関して言えば、高ければ幸せってわけじゃないことも研究で明らかになってる。
認知と行動は、物事の捉え方や考え方。
視点を切り替える力は、鍛えられる。
遺伝子について、小説みたいに読んで楽しめる本。
行動面を変えたいなら、目標を立てよう。
目標の立て方には3パターンある。
この中で成功しやすい立て方は、3つめ。未来と現実の間を行ったり来たりしながら目標を立てる。これも視点の切り替え!時間軸上で視点を変えるってこと。
まず未来の楽観的イメージ、それから現実の困難さを悲観的に考える順番がベストよって紹介されていた。楽観的に考えて悲観的に行動せよ。
私の意思、は本当に「私の」意思なのか?
自分の行動や感情は自分一人で決めているのではなく、「つながり」の先にある膨大なネットワークの影響を受けているという事実を忘れないようにしてください。
それは空間を超える横の広がりだけじゃない。
時間を超える縦のつながりも。
故人とのつながり、未来の子孫とのつながり、全部「私」に影響を与えている。本当に。
おたまさんの書評がおもしろすぎて、私も読みました!!
最近「集客」「マーケティング」の勉強をしてるんだけど、まんまナッジなんだなぁ!!(笑)とその理屈を整理できました。
歴史、古代史ミステリーの本も。
古事記と日本書紀の違いってごっちゃになってたけど、ストーリーも登場人物も展開もちょいちょい違うんだって。
少年Aとか、オウム真理教とか。
暗くて不気味で得体が知れず怖いもの(魔)を不透明にしておくことの「危険性」と、それに向き合い考察して打ち勝つ方法を提案している本。
「祈りと呪いは同根」ということばから思い出したのがこの物語。ことば(コトバのつづり、spell魔法の呪文と言う意味もある)の力と、人間と人間同士の関係。
ファンタジー、物語は、そういう今目の前にある現実、当たり前の世界への「疑問」とか 「違和感」を安全な場所で確認できる装置なんじゃなかろうか。
個人が左右することのできないエネルギーって、実際にある。
それは信仰の対象がなんであれ、誰もが「実感としてわかる」ことなんじゃないかな。そこに科学的な照明、数式として表せなくても。
気配とか、社会の大きな気運とか、集団心理とか、そういうの。
それを利用したものが「祈り」であり「呪い」。
スポーツでゾーンに入ったことがある人は「次の一歩進む道筋が見える」とか「切るべき線が見える」とかそういう経験があるかもしれない。
それをこの本では個人がコントロールできないエネルギーが個人個人に作用する「隙」と表現していた(気がする)。
そういう大きなエネルギーと、個人の持つエネルギー(磁場の偏り、縁)のノリと反りを見るのが大昔から人間が想像力たくましく発展させてきた占い・まつり(祭り・祀り)・呪術(おまじないや祈り)なんだと思う。
私も趣味で占星術をケンキューしてる。
エネルギーのノリと反りを利用する具体策も面白いけど、大きな流れに飲み込まれないための「隙」、抜け出す糸口を探しているのかもしれない。
鎌田氏もゲド戦記の引用をしていて、孔子の教えと絡めていたのがおもしろかった。
力を持ち知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間の辿る道は狭くなり、やがて何一つ選べるものはなくなって、ただしなければならないのとだけをするようになる
「 心に欲するところに従ってのりを超えず、天命を知って天命を生きる」この解釈として。
孔子の「誤解」と「意図」については、やっぱり安田氏のはなしがオモシロイ~~!!
平家物語の「象徴していること」の解説もオモシロイ~~~!!!
現実ってのは「つじつまのあった作り話」で、夢の世界が目を背けていた「抑圧されている生の現実」なんじゃない?って発想。
あと、絵本。
さすがに、「死」と「生」の絵本と紹介すると大げさか(笑)
仕事ブログの方で紹介した文章↓↓
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力強い絵!!で描かれる、バッタのまわりにいる「おそろしいものたち」の姿に・・・ちょっとギョッとしちゃうかも(^^;)
絵はシンプルだし、文章でその様子が描写されることは一切ないんだけど、他のバッタが食べられているという事実は全くごまかされていない。
(命について子どもに伝えることは、とってもむずかしい。でもそれは、自然の一部なんだってことを大人の私がまず向き合わないといけない)
しげみに隠れて、毎日毎日びくびくしながら暮らしていたバッタ。
でもバッタはおびえながら隠れて生きていくのがつくづくいやになった。
そして あるひ、バッタは けついした。
バッタは、おおきな いしの てっぺんで、
ゆうゆうと ひなたぼっこを はじめた。
そんなことを すれば、 すぐ てきに みつかって
たべられてしまうことを、バッタは しっていた。
なのに、バッタは そうした。
そしてやっぱり「おそろしいものたち」に見つかってしまうんだけどね。
ここ、ここね、もうドキドキしちゃうよ!!読みながら力が入ってしまう(笑)もう、まさに「とべ、バッタ!!!」と叫んで応援したくなる(>▽<)
ネタバレしちゃいますが(笑)
バッタは、そのピンチで「しにものぐるいで とんだ」んです。
バッタがした「けつい」は何だったのか、絵本の中には書かれていないんですが、決してあきらめや自暴自棄じゃなかったんじゃないかと、思います◎
(大きいお子さんだったら、バッタの決意がなんだったのか一緒に考えてみるとオモシロそうですね★)
たかくたかくのぼりつめたバッタは、そのあとしたへしたへと落ちていきます。下にはまた「おそろしいものたち」が食べてしまおうと待ち構えています。
そのときはじめて、バッタは自分に「よんまいの はね」があることに気付きます。それまで一度も使ったことのない、自分の羽。
ピンチを切り抜けたバッタに、他の虫たちは「なんだい、あの みっともない とびかた!」とばかにしたりはやしたてたりするんですが・・・
しかし バッタは、なんと いわれようと へいきだった。
じぶんの ちからで とべることが、
うれしくて うれしくて しかたなかったから。
バッタは とんだ、たかく たかく。
じぶんの はねで、じぶんの ゆきたいほうへ、
かぜに のって とんでいった。
物語は終わってますが、最後の最後、裏表紙の絵を見て、「あ・・・!」ってなりますよ!バッタがその後どうなったのかお子さまと話してみてくださいね(^_-)
どうしたって、現実外にでれば「おそろしいものたち」はいます。バッタは「けつい」しました。そして、危ない目にあってしまう。でもその結果、バッタは自分に元々備わっていた(でも一度も使ったことのなかった)能力に気付きます。
その能力は他のひとたちにくらべれば未熟でみっともないかもしれない。でも、自分の力で、自分のゆきたい場所にとんでいけることがどんなに嬉しいことか、子どもたちは多分わかっています。
歩き始めの子が、よっちよっちと歩くことをただ喜ぶように☆
(良質な)絵本は「こうしなさい」「これが善きことです」のようなお手本をハッキリと言いません。それを見て、読んで、自分はどう感じるのか。どうしたいのか。一旦、手渡してくれる「間」があります。
もしその絵本がいっときの大人(社会)の価値観に従わせるためのものだとしたら、その絵本はすぐに受け入れられなくなります。
価値観の変化って、すごく早いです。自分のお父さんお母さんと話してると、そう思いませんか?(笑)今は「当たり前」の常識が、すぐに「そんな時代もあったわね~」なんてことになっちゃいます。
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あと、読書メモを引っ張り出してきておもしろかったな~と思い出した本。
変化が激しい世の中で変わらぬ思考の軸足を持つために1番有効なアプローチは、時間的な奥行きを持って考えることです。歴史を知れば、いかに人間が100年や200年では変わらないいきものか、その本性がまざまざと見えてくるはずです。
幸せになるためには、こんな仕事や生活がしたくて、こんな仕事をするには、こういう大学が良いのではないか。このまともな順番で物事を考えられるようにと子供を導いてあげる。折に触れて子供に(自分の幸せとは何か)を自分の頭で考える機会を与える。親にできる事はそれぐらいしかありません。ポイントは、仮に「自分にとっての幸せとは何か」を起点に考えたとしても、そんなの高校1年生でわかるわけがない、と言うことです。そんな答えがちょっと考えた位ではすぐには出てこないこと子供自身が知る。ここに最大の意義がある。
これは親向けの本ではなく、就活生のお悩み相談とか質問に答えた本なんだけど。全く「説教臭く」なくて、「道徳」チックでもなくて、笑える。
笑えるけど、響く。
こっちは子育てに重点おいたエッセイだけど、重たくない雰囲気は似てるかも。 こういうの、女性向けのふわっとした優しい寄り添い系の子育て本より好き。
趣味と仕事、欲と夢は違う。
自分に向いているか他人に向いているか。
仕事に自己評価は無意味。
他人からの評価、結果、実績ありき。自分に残るのは過程。
キャリアは計画できない。ほとんどのことを思い通りにならない。
結構クールな視点なんですよね。全然寄り添ってくれない。そこが心地いい(笑)
「使命」ってのは命の使い道。何をやるか、よりも何をやらないか!!の視点が大事になってくる。
あれこれやりたくなる私にはキビシイお言葉。(笑)