ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

ハロウィンと死生観

ハロウィンシーズンなので、子ども英語サークルでもハロウィンにちなんだゲームや遊びを計画中~。イベントの雰囲気を楽しむのもいいけど、せっかくだからこういう行事を通して文化の違いや共通点ついて学べたらいいと思う。大きくなったらこれも「英語学ぶ」 いい素材になるんだけど、未就園児さんやベビー対象のグループなら日本語でお母さんたち向けに紹介する機会があればイイネ!

 

 

ハロウィンの由来

由来から知る他(多)文化

ケルト文化の秋の収穫祭や悪魔祓いの儀式がキリスト教の文化と合わさって、今のような行事として伝わっているというのが定説らしい。コレ!っていう一本道で今と昔がつながってるわけじゃないから、由来も諸説ある。

子どもにわかりやすく説明できる絵本はないかな~と図書館で借りてみたのがこの本。

 

ハロウィーンのひみつ

ハロウィーンのひみつ

 

 

 うーん・・・絵本の展開とハロウィン由来の説明が無理やりな感じで「えーっ!そうなる?!」って突っ込みながら読んでしまったよ。ちょっと辻褄が合わないところもある・・・?

 文章がそんなに長くない絵本でなにかいいのないかなぁ。英語絵本で探したほうが内容はいいのかもしれない?

 

日本の文化と比べてみると

収穫の感謝、豊穣を祈る秋のイベントと言えばお月見。お祝いの仕方は違えど、人間地球のどこにいても祈ることはだいたい一緒なのがおもしろい。雰囲気は全然違うけど、ハロウィンもお月見も夜のイベントだね!

それからハロウィンのキーワードでもある「死者」や「悪霊」も、日本の秋のお彼岸(お盆)のイメージと重なる部分がある。お盆に火を焚くところとか。

 

死者を偲ぶイベント

お盆やハロウィンで思い出すのがメキシコの「死者の日」。

外国の文化を紹介する図鑑だったか?小学生の時だったと思う。初めてこのお祭りの存在を知った時は衝撃だった。「死」は社会のタブーで、大っぴらに話すことでもないしましてや明るく受け入れるもんじゃない、っていう固定観念があったから。小さな女の子がガイコツの衣装を着てる写真にギョッとした。

 

そういえば、長崎の灯篭流しを初めてみたときも衝撃だったなぁ!!花火と爆竹でにぎやかに送り出す。台湾も、にぎやかにセクシーに(?!)送り出す文化があったような。

 

 メキシコの死者の祭りの雰囲気をなんともきれいなアニメーションで表現した映画!


COCO Official Trailer (2017) Disney Pixar Animation Movie HD

リメンバー・ミー (字幕版)

リメンバー・ミー (字幕版)

 

原題COCOで邦題リメンバーミー。泣いた、泣いたよ。お盆の帰省の時に家族で見たい映画。ちょっと訛った英語がいい味。 

 

ストーリーの要になっているのが「人は二度死ぬ」ということ。 一度目は肉体の死、二度目は人々の心から忘れられたとき。

 

メメント・モリ」・・・

 

そして思い出した台湾映画。

 


映画『父の初七日』予告編

 

記憶について

記憶=言葉の蓄積?

記憶力は、モノを覚えていられること。イメージだけで言葉が出てこない状態は「思い出せない」だから「わたし記憶力わるくって~」とか「最近記憶力が落ちちゃって」となる。記憶は言葉に依存している

学力モノサシで見る社会だと、頭の良さは知識の量ではかられる。知識(情報の断片)を多く記憶しておくこと。私はこの「頭の良さモデル」が今(これから)の時代にそぐわないと思ってるんだけど、それはここでは置いといて。とにかく、言葉。言葉ありきなのよ。

 

思い出せる、ってことは言葉を引っ張り出せるってこと。 口に出す出さないは別として。それが記憶・・・だとしたら、言葉そのものを身につける以前の人間の記憶ってどうなってるんだろう。

 

乳幼児の記憶力 

経験則で言えば、上手に言葉にできなくても結構いろんなこと覚えてるな~ってのが息子イチ君を観察してて思った。ただ、時間の概念がないから全部「いま」か「さっき」の出来事なんだよね。過去→現在→未来の一直線の「常識」はそれを表す言葉を覚えてやっと身につくんじゃないかな。それが真実かどうかは別として!私は、時間は一直線だと信じきれてないから、イチ君の時間観が間違ってる(大人からすれば間違ってるんだけど)と思えないこともある。

 

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

 

 

赤ちゃんの記憶、と言えば胎内記憶。聴力はすでに発達しているといっても、感じたものを「こう感じた」と受け取るフィルター(つまり言葉)がまだ作られてないんだから、「記憶」はできないはず。

 なんだけど、結構覚えてる子もいる。イチ君も、最高にかわいいことを教えてくれたことがあった。

 

言葉に依らない記憶

どうやら、言葉を介さず身体で覚えている記憶があるようだ。言葉(母国語)そのものもそうか。自転車の乗り方とか、スポーツの例を出せば「あぁ確かに、そりゃあるだろね」と納得できるかな。

もうちょっと生物学的な視点で言えば、DNAも記憶することが明らかになっている。喫煙、虐待、薬物、ショックやストレスでDNAは傷ついて変わってしまう。しかも、この記憶は遺伝する。

 

 

 

言葉と死生観

Memento mori. ラテン語で「死を忘れることなかれ」

mori、死ぬこと、モリ、森、杜・・・

日本語のもり(森、杜)の語源は「盛り」だったって説がある。こんもりと土を盛った場所。人が死んで埋葬される。土を盛る。墓標を立てる。これは人間特有の本能的なもんなんだろうか?石を立てる、木を植える。木は天と地を繋ぐシンボル的要素もあったから、埋葬して土を盛った上に植えたのかもしれない。盛った土を指して「モリ」と呼んでいたのが、いつのまにかその上に立つ木を指すようになったいたんじゃないか、と。

sonogono.jugem.jp

昔自分で書いた記事を読み直してみる。万葉集の中では「モリ」は神社を指していた、とか。

sonogono.jugem.jp

 

sonogono.jugem.jp

 

 

語学じゃ、ないじゃん!!!

これはリンク引っ張ってきてる旧ブログのほうに戻って投稿したほうがいいんだろうか、と思いつつ「言葉」ネタも絡んでるからいいかな、と思って投稿。