下書きが溜まっていた・・・読んだ本たち
おたまさんの書評がおもしろすぎて、私も読みました!!
最近「集客」「マーケティング」の勉強をしてるんだけど、まんまナッジなんだなぁ!!(笑)とその理屈を整理できました。
歴史、古代史ミステリーの本も。
古事記と日本書紀の違いってごっちゃになってたけど、ストーリーも登場人物も展開もちょいちょい違うんだって。
少年Aとか、オウム真理教とか。
暗くて不気味で得体が知れず怖いもの(魔)を不透明にしておくことの「危険性」と、それに向き合い考察して打ち勝つ方法を提案している本。
「祈りと呪いは同根」ということばから思い出したのがこの物語。ことば(コトバのつづり、spell魔法の呪文と言う意味もある)の力と、人間と人間同士の関係。
ファンタジー、物語は、そういう今目の前にある現実、当たり前の世界への「疑問」とか 「違和感」を安全な場所で確認できる装置なんじゃなかろうか。
個人が左右することのできないエネルギーって、実際にある。
それは信仰の対象がなんであれ、誰もが「実感としてわかる」ことなんじゃないかな。そこに科学的な照明、数式として表せなくても。
気配とか、社会の大きな気運とか、集団心理とか、そういうの。
それを利用したものが「祈り」であり「呪い」。
スポーツでゾーンに入ったことがある人は「次の一歩進む道筋が見える」とか「切るべき線が見える」とかそういう経験があるかもしれない。
それをこの本では個人がコントロールできないエネルギーが個人個人に作用する「隙」と表現していた(気がする)。
そういう大きなエネルギーと、個人の持つエネルギー(磁場の偏り、縁)のノリと反りを見るのが大昔から人間が想像力たくましく発展させてきた占い・まつり(祭り・祀り)・呪術(おまじないや祈り)なんだと思う。
私も趣味で占星術をケンキューしてる。
エネルギーのノリと反りを利用する具体策も面白いけど、大きな流れに飲み込まれないための「隙」、抜け出す糸口を探しているのかもしれない。
鎌田氏もゲド戦記の引用をしていて、孔子の教えと絡めていたのがおもしろかった。
力を持ち知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間の辿る道は狭くなり、やがて何一つ選べるものはなくなって、ただしなければならないのとだけをするようになる
「 心に欲するところに従ってのりを超えず、天命を知って天命を生きる」この解釈として。
孔子の「誤解」と「意図」については、やっぱり安田氏のはなしがオモシロイ~~!!
平家物語の「象徴していること」の解説もオモシロイ~~~!!!
現実ってのは「つじつまのあった作り話」で、夢の世界が目を背けていた「抑圧されている生の現実」なんじゃない?って発想。
あと、絵本。
さすがに、「死」と「生」の絵本と紹介すると大げさか(笑)
仕事ブログの方で紹介した文章↓↓
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力強い絵!!で描かれる、バッタのまわりにいる「おそろしいものたち」の姿に・・・ちょっとギョッとしちゃうかも(^^;)
絵はシンプルだし、文章でその様子が描写されることは一切ないんだけど、他のバッタが食べられているという事実は全くごまかされていない。
(命について子どもに伝えることは、とってもむずかしい。でもそれは、自然の一部なんだってことを大人の私がまず向き合わないといけない)
しげみに隠れて、毎日毎日びくびくしながら暮らしていたバッタ。
でもバッタはおびえながら隠れて生きていくのがつくづくいやになった。
そして あるひ、バッタは けついした。
バッタは、おおきな いしの てっぺんで、
ゆうゆうと ひなたぼっこを はじめた。
そんなことを すれば、 すぐ てきに みつかって
たべられてしまうことを、バッタは しっていた。
なのに、バッタは そうした。
そしてやっぱり「おそろしいものたち」に見つかってしまうんだけどね。
ここ、ここね、もうドキドキしちゃうよ!!読みながら力が入ってしまう(笑)もう、まさに「とべ、バッタ!!!」と叫んで応援したくなる(>▽<)
ネタバレしちゃいますが(笑)
バッタは、そのピンチで「しにものぐるいで とんだ」んです。
バッタがした「けつい」は何だったのか、絵本の中には書かれていないんですが、決してあきらめや自暴自棄じゃなかったんじゃないかと、思います◎
(大きいお子さんだったら、バッタの決意がなんだったのか一緒に考えてみるとオモシロそうですね★)
たかくたかくのぼりつめたバッタは、そのあとしたへしたへと落ちていきます。下にはまた「おそろしいものたち」が食べてしまおうと待ち構えています。
そのときはじめて、バッタは自分に「よんまいの はね」があることに気付きます。それまで一度も使ったことのない、自分の羽。
ピンチを切り抜けたバッタに、他の虫たちは「なんだい、あの みっともない とびかた!」とばかにしたりはやしたてたりするんですが・・・
しかし バッタは、なんと いわれようと へいきだった。
じぶんの ちからで とべることが、
うれしくて うれしくて しかたなかったから。
バッタは とんだ、たかく たかく。
じぶんの はねで、じぶんの ゆきたいほうへ、
かぜに のって とんでいった。
物語は終わってますが、最後の最後、裏表紙の絵を見て、「あ・・・!」ってなりますよ!バッタがその後どうなったのかお子さまと話してみてくださいね(^_-)
どうしたって、現実外にでれば「おそろしいものたち」はいます。バッタは「けつい」しました。そして、危ない目にあってしまう。でもその結果、バッタは自分に元々備わっていた(でも一度も使ったことのなかった)能力に気付きます。
その能力は他のひとたちにくらべれば未熟でみっともないかもしれない。でも、自分の力で、自分のゆきたい場所にとんでいけることがどんなに嬉しいことか、子どもたちは多分わかっています。
歩き始めの子が、よっちよっちと歩くことをただ喜ぶように☆
(良質な)絵本は「こうしなさい」「これが善きことです」のようなお手本をハッキリと言いません。それを見て、読んで、自分はどう感じるのか。どうしたいのか。一旦、手渡してくれる「間」があります。
もしその絵本がいっときの大人(社会)の価値観に従わせるためのものだとしたら、その絵本はすぐに受け入れられなくなります。
価値観の変化って、すごく早いです。自分のお父さんお母さんと話してると、そう思いませんか?(笑)今は「当たり前」の常識が、すぐに「そんな時代もあったわね~」なんてことになっちゃいます。
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あと、読書メモを引っ張り出してきておもしろかったな~と思い出した本。
変化が激しい世の中で変わらぬ思考の軸足を持つために1番有効なアプローチは、時間的な奥行きを持って考えることです。歴史を知れば、いかに人間が100年や200年では変わらないいきものか、その本性がまざまざと見えてくるはずです。
幸せになるためには、こんな仕事や生活がしたくて、こんな仕事をするには、こういう大学が良いのではないか。このまともな順番で物事を考えられるようにと子供を導いてあげる。折に触れて子供に(自分の幸せとは何か)を自分の頭で考える機会を与える。親にできる事はそれぐらいしかありません。ポイントは、仮に「自分にとっての幸せとは何か」を起点に考えたとしても、そんなの高校1年生でわかるわけがない、と言うことです。そんな答えがちょっと考えた位ではすぐには出てこないこと子供自身が知る。ここに最大の意義がある。
これは親向けの本ではなく、就活生のお悩み相談とか質問に答えた本なんだけど。全く「説教臭く」なくて、「道徳」チックでもなくて、笑える。
笑えるけど、響く。
こっちは子育てに重点おいたエッセイだけど、重たくない雰囲気は似てるかも。 こういうの、女性向けのふわっとした優しい寄り添い系の子育て本より好き。
趣味と仕事、欲と夢は違う。
自分に向いているか他人に向いているか。
仕事に自己評価は無意味。
他人からの評価、結果、実績ありき。自分に残るのは過程。
キャリアは計画できない。ほとんどのことを思い通りにならない。
結構クールな視点なんですよね。全然寄り添ってくれない。そこが心地いい(笑)
「使命」ってのは命の使い道。何をやるか、よりも何をやらないか!!の視点が大事になってくる。
あれこれやりたくなる私にはキビシイお言葉。(笑)