※最近読んだ本と備忘録的なコメント
「耳を傾けるに足る言葉」ってどこにある?
これが正しいんだ、論理的でソースがあって、みんなそう言っている「正論」なんだ。って言葉は、軽い。お前がわざわざ言わなくても、正しいんだって前提に立ってるコトバだから。
ネットの世界にいると、喋らないことが「存在しないこと」になってしまう。想像力さえあれば、そんなことあり得ないって気付けるんだけど。上の本にはしゃべらない雄弁さ、その人の言葉の重みについて書いてあったけど、ネイティブ・アメリカンの智恵を思い出したよ。
効率主義にどっぷり浸かってしまうと、等価交換的な価値観を前提にすべてをはかってしまう。経済はそれでいいんだけど、教育にまで持ち込まれているのはひじょーに問題だ、ってのが内田樹さんの著書でよく挙げられる主張。
今こそ、役に立たないことやものの重要性を、思い出したほうがいいのかもしれない。
それが知性のエッセンスになる。
知識や情報を早く、たくさん、集めること。その効率良し悪しが「学力」としてはかられてきたけれども…
教育システムは「みんなができることを、他の人よりもうまくできる競争」から、「それぞれが活かし合う共助ネットワークの基盤づくりの場」変わっていく。というか、変わらないと!!
わからない、とか伝わらないってのは自分の知的限界を超えるチャンス!!それが学びの本質。コツは身体で受け止めること。オープンマインドでいること。
それから「あそび」隙間が足りないこと。
大人の目が常にある、管理される教育。もうちょっと「失敗させてあげられる場所」があればいいのに!!って思って、私は今、小さな小さな親子の場をつくろうと奮闘中。
「生身の体験」ありきの活動だから、すぐに動き出せなくてもどかしいけど……今はいつもの「とりあえずやってみてから考えよう!!」じゃなくて、じっくりアイディアを煮詰めてからリリースしようってことよね。
教育、に関してはこの対談本もおもしろかったーーーー
「アート(芸術)」のチカラ、ブリコラージュする(ありあわせのモノで創造する)センスが「知性」にリンクするのか!と感動。それから「相互依存する自律」という概念。補い合う、だけじゃなくてお互いのギフトで共同創造する社会。
「教育」は「贈与(ギフト)」だ、って言葉にも驚いた。教育にまで費用対効果を求めることを全く疑問にも思ってなかった自分に気付いた。期待をするのと成果を求めるのは、全く別のこと。
指導者、保育に携わる人、親、ちゃんと「自分は何を前提に教育を捉えているのか」一瞬でも考えてみる機会があるといいのかもしれない。
私の尊敬する先輩が「子どもは、変わる」と断言していた。「どんな子どもでも」。その先輩は、信じて待つことが出来る指導者なんだと思う。目の前の”好ましくない”結果も、これから変わっていっている真っ最中なんだって捉えられたら、大人も子どももどんだけおおらかでいられるかな。変わる、ってことは学ぶってこと。学びを、変化のプロセスを信じて、長い目で見られる大人になりたいな~。
ちょっとジャンルがひとっとびするけど、昨晩一気に読んでしまったのがこの本。
ゲド戦記で有名な作家、アーシュラKルグウィンの ファンタジー。
ファンタジーと侮るなかれ、物語の中に散りばめられた哲学を!!!!どきっとするコトバ、音、意思にあふれてます。息をつめて物語を読む、時々こわくなって文字から目を離して深呼吸が必要になる、そんな読書体験。子どもだけのものにしておくのはもったいない(笑)
コトバの重み、「ギフト(天から与えられた資質)」について思いめぐらせてしまう、物語。
ヴォイスを読み終わったら読むつもりのエッセイ。
一番最初に紹介した『沈黙する知性』で内田樹氏の対談相手だった平川克美氏のエッセイ。対談がおもしろかったから、もっと世界観を知りたいな~と思って。
それからさっき熱帯雨林から到着したこの本。(笑)
武道に憧れるアラサー主婦。