「ぐうされる、ってどういう意味?」
と4歳の息子イチ君に聞かれてたじろいだ。「〇〇ってなに?」系の質問に答えるのは得意だったから、初黒星。
どこで聞いたのかと思ったら、これ。
英日吹込みのスピーチをCDで聞いてたんだけど、どう考えても4歳児向けではないこのスピーチ。私が好きだから聞いてたんだけど、勝手に聞いて覚えていた子ども吸収力のオソロシサ。。。。
それでいて、覚えさせよう、聴かせようとするものには食いつかない不思議な生き物。
他の絵本に比べると文章量も語彙の難しさも比べ物にならない内容だから、完全な耳コピはしていない。印象に残るフレーズをいくつか真似する程度なんだけど。
3歳以前と3歳以後で、明らかな「取り込み方」の違いを感じる。昨日スピーチを聞きながらイチ君のリアクションを見ていて、またまた発見したことについて、書き残しておきたい。
このCD、ひとまとまりの英語のあと、直訳ではない日本語が吹き込まれている。イチ君が耳コピ(そっくりそのまま真似して発話)するのは、たいていは日本語パートが先。
これがちょっと不思議だったんだよねー。
幼児期は耳が柔軟。聞いたままをマネできる。
これはもう「常識」レベルで共有されている子供の言語教育の一側面。でも、単純に聞いた音をすぐに再構築できるなら、なんで日本語と英語でタイムラグがあるのか???
「母国語と外国語じゃ聞いている量が違うからでしょ」と言われるかもしれないけど、このスピーチでも絵本でも、どう考えても日常生活で聞いたことのない(初耳の)日本語の言い回しや語彙でも、日本語は聞いてから発話までのスピードが圧倒的に早い。
「大地は、われわれの母だ」とか「おきにめしますれば、さいわい、さいわい」とか聞いたこともなければ意味もわかってないだろう日本語でも。
昨日、イチ君がこのスピーチをオーバーラップ(ほぼ同時か、先んじて暗唱)しているところを観察して発見したのは
- 曖昧な部分はハミングでシャドーしている
- 語尾から順番に仕上げている
ってこと。ハミングでシャドーってのは、口をもごもごさせるか、舌と唇をあまり動かさずに音のアップダウン(音程)だけ追いかけている様子のこと。鼻歌みたいに。
で、何回も聞いて覚えてきたら、ごにょごにょ部分が減ってコトバっぽい音が増えてくる。
つまり!!!
聞いた言葉「What's Seattle said」をそのままそっくり「わっ すぃあーろぅ せっど」とコピーしているわけじゃなく、リズムとイントネーションがまずあって、その音のパターンに合わせて意味と音の切れ目を予測して、そこに具体的な音(WとかSとか)を当てはめていってるんじゃないか。
日本語の「間」とイントネーションは3歳以降だいたい仕上がってきたからすぐ耳コピしているように見えるけど、英語はまだイントネーションのルールが不安定。
英語そのものには、0歳の時からかなり身近に聞いていたイチ君だけど、子ども向けの短い文章、単語レベル、話しかけるにしても一言二言の細かいカタマリだったから、大きなコトバのうねりみたいなリズムがベースとしてストックされていない。
だからまずはリズムのベースを作る方向に神経が集中している。
次に音に切れ目、細かい音の違いを見つける。
で、口の筋肉を動かして実際に音に出してみる。
この全体のリズム感を掴むことに集中的に神経を繋ごうとする「聴力」が「耳の黄金期」ってことなんじゃないか、と。「耳の黄金期」と言えば、「LとRの聞き分け」が注目されているわけだけど、それって二次的なものなのかもしれない。優先すべきは、そこじゃない。
耳の黄金期、字面を追いかける口真似に終始させるのはモッタイナイ、かもね!!!
岩波科学ライブラリー 176 さえずり言語起源論 新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ (岩波オンデマンドブックス)
- 作者:岡ノ谷 一夫
- 発売日: 2016/05/10
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
言葉の起源が「歌」だった、って説に説得力を感じる発見だった。
もうひとつ、「語尾から仕上げていく」って部分はどういう仕組みでそうなっているのか、まだピンときていないけど・・・言いだし部分じゃなくて、いい終わり部分を先に「言える」ようになっているのは、なにか意味のある事のような気がする。
これは日本語部分だけの特徴だったかも?英語はどうだったかなぁ。
「子ども向け」は子どもをバカにしている、というようなことを子どもに関するいろんな分野のプロフェッショナルが口をそろえて言っている。
絵本の巨匠、モーリスセンダックも「私は子供向けの物語を描いているつもりはない」って言ってたっけ。
そういえば、 世界のエリートは子どもが「本物」に触れる機会を大切にするらしい。コトバも、言葉を含めた教育も、そうなのかもしれない。
そんなことを言うと、そうかそれならば、と
その時その子のその状況に見合わない「無理に背伸びをして、大人の真似をさせる」ってことに陥りそうで、バランスが難しそうなんだけど。
子どもの教育に関して、親の影響は大!なんだけど、あれしてあげなきゃこれしてあげなきゃ、と「投資」するのは傲慢な態度なのかも。
教育は「贈与」、信じて与えるもの。
大人は「対話」する態度が求められる。
4歳イチ君、私との距離が順調に広がっていくにつれて、英語からも少し離れてきました。日本語の爆発的進歩もあり。私はそれでイイと思っているので、なにかしら「取り組み」をする予定はなし。
例のCDと絵本が我が家にあるもんで、コトバ(日本語&英語)の面白さに家族みんなで触れられる機会があるのはありがたいなぁと思う。