長田弘氏の短いエッセイ集。
思い出した時にひとつ、またひとつとのんびり読んで…今日最後のページに。
途中の音楽ネタは、私も音楽ファンならもっと楽しめただろうなぁ。
じぶんの憂鬱や悲しみを軽蔑したり、あるいは逆にそれに甘えたりせずに、真にじぶんのものにすることができなくてはいけない。
ひとの感情にはよい感情とよくない感情があり、よい感情が上等で、そうした上等な感情をできるだけいっぱいもつことが美徳なのだと考えてやってゆくというふうな生き方は、正直な生き方ではない。
ひとは美徳によって生きない。
じぶんがじぶんにもとめる気概によって生きるものだろうからだ。
じぶんの好きな歌を好きなようにうたうというただそれだけのことでさえ、それを「芸術」や「商品」としてではなく、みずからの「生き方」としてじぶんに荷おうとするやいなや、それはたちまちにして一つの「たたかい」とならざるをえないのだ
孤独はいまは、むしろのぞましくないもののようにとらえられやすい。けれども、孤独がもっていたのは、本来はもっとずっと生き生きと積極的な意味だった。
この世の在り方の問題をみずから率直なものにするのが孤独。ソローは日記にそう誌している。
ソローにとって、そのような明るい孤独をくれるものだったのは、散歩だった。
『私の好きな孤独』は、ウォールデンのソローの後姿を絶えず想い起こしながら、ただしソローとは逆に、日々の付きあい、なりわいの内にひそむ明るい孤独と静けさのなかへみずから入ってゆく、エッセー=散歩(Walk)の書として書かれた。