タイトル見て、懐かしさフラッシュバック。
大学寮の本棚にあったのを覚えてる。最初の1ページしか読んでないけど。ルームメイトが「なんだってこんな暗い小説があんのよ、やんなっちゃうわ!」とかなんとか言ってた気がする。自殺率の高さで有名な大学だったから、そういうブラックジョーク的なノリでそんな会話した気がするんだけど、記憶なんてあやふやだから定かじゃない。
でもこの本のタイトルだけは変わってるからはっきり覚えてたんだな。
寮の本棚で衝撃的で覚えてるのは、これと、もう一冊・・・タイトル忘れたけど、女性漫画と小説くっつけたみたいな、同性愛?のもつれ?みたいなハナシだった。「なんでそーなんねん(笑)」ってツッコミながら読み切ったきがする。
ベロニカは、読んでなかった。なんでかな。
ベロニカは全てを手にしていた。
若さと美しさ、素敵なボーイフレンドたち、堅実な仕事、そして愛情あふれる家族。でも彼女は幸せではなかった。何かが欠けていた。
ある朝、ベロニカは死ぬことに決め、睡眠薬を大量に飲んだ。だが目覚めると、そこは精神病院の中だった。
自殺未遂の後遺症で残り数日となった人生を、狂人たちと過ごすことになってしまったベロニカ。
本の裏表紙にあるあらすじ。
社会から隔離された精神病棟で、”狂った”人たちと幾ばくか残された余命を過ごすことになった主人公のベロニカ。つまり社会、医師、看護師さんたちに「狂ってる認定」を押されて強制入院することになったわけだけど、最初にベロニカは「私は”普通”よ!」って主張するのよ。
「狂ってる」人と「普通の」人の違いはなにか。
それがこの物語のなかで何度も問いかけられるわけだけど。
最初に言葉をかわした「狂った」患者がベロニカに教えてあげた「狂った」人の定義がこう。
「(中略)狂気とはね、自分の考えを伝える力がないことよ。まるで外国にいて、周りで起こっていることは全て見えるし、理解もできるのに、みんなが話してる言葉が分からないから、知りたいことを説明することもできず、助けを乞うこともできないようなものなのよ」
「わたしたちはみんなそう感じてるわ」
「だからわたしたちはみんな、なんらかのかたちで、狂ってるのよ」
ベロニカはどっからどう見ても幸せであるはずの自分の人生を振り返る。健康で、若くて、それなりに人付き合いをして、それなりに仕事ができる。家族も、愛情深くて悪い人たちじゃない。
淡々と生きてきた彼女が、死にそびれてはじめて、「嫌悪感」をあらわにする。これまで無視し続けてきたネガティブな感情が、出るわ出るわ。
感情の
デトックスって、排泄だもんね。出し切るとスッキリする。
その流れもオモシロイ。
母親の「愛情」だと思っていたものが、自分に「罪悪感と相手の期待に応えたいという欲求で満た」す存在だったと気づいた。
そのために自分が夢見てきたことを全て諦めることになったとしても。
それは、世の中に存在する困難や堕落から、彼女を庇おうとするような愛だった。いつか、それらのことに直面し、その時には全く身を守れなくなるだろうということを無視して。
どのみち狂人認定されている精神病院の中だもの。「人にどう(普通に)見られるかどうか」を気にしなくていいんだと、思う存分狂ってみる。
自分が本当はどう思っているのかを感じてみる。
その感情を全身で表現してみる。
自分が心地よいと思う行為を、自分の意志で実行する。
相手に嫌な思いをさせないように、と我慢して相手に合わせ正当化することなく、自分はこう思う、自分はこうしたい、ということを自覚する。
これぞ狂人の極み!笑
こんなことしてたら、社会に受け入れてもらえないでしょ。
彼女はやっと否定的な感情をおもてに出すことができた。もう何年も自分の心の中に抑えつけてきた感情を。実際に感じてみて、彼女はもうそれを必要としなくなった。もう捨ててもよくなった。
よくある、「手放し」ってのは、こういうプロセスを指してるんだよなって思う。
放さねば、放さねば、こんなもの持っていちゃいけないんだ!!!と握りしめる手に全神経を集中させるんじゃなくて・・・手の力がゆるんで、気がついたら指の間からするするこぼれていっていたわ、みたいな。
王国全土を崩壊させようと企むある魔法使いが、全国民が飲む井戸に魔法の薬を入れた。それを飲んだ国民は頭がおかしくなった。
王様ファミリーは自分たち専用の井戸があったから、まともなままだったんだけどね。
それで、この緊急事態を乗り越えるために王様はがんばっていろいろしたんだけど、みんなアタマがおかしいもんだから「王様は狂ってる」っていって言うことを聞かない。
それどころかアタマのおかしい王様をどうにかしろ!って押しかけてきた。
それで、王様は絶望して王位を退くつもりだったけど、女王が「私達も水を飲みましょう」と言った。そうすればみんなと同じようになれるから。
そして王様と女王様は国民と同じ水を飲んで、しっかりおかしくなって、国民たちに受け入れられ、平和な日々を続けることができましたとさ。
・・・ってお話が出てくる。こういうブラックユーモア好き(笑)
↓先日読んだ
マーク・トウェインの短編集のね、無料サンプル読めるでひとつが、めっちゃブラックで、おもしろかった。
「おいおい、オチはそうなるんかい・笑」ってニヤニヤしちゃう。
ベロニカは精神病院という
塀の中から、社会の「愛情」「良心」「もっともらしさ」を改めて見る。登場する「まともな」人達の、常識ある判断が、皮肉たっぷりに描かれている。
問題を避ける一番の方法は、責任を分け合うことだ
これとか、日本人は血肉化してる価値観だから「なにがおかしいの?」って思うかもしれないけど(笑)
「憂鬱」を一種の毒素として研究している院長は、「まとも」な立場から「狂った」世界に踏み込む境界にいる人だな。いちばん狂ってるのかも。
多かれ少なかれ、人はこの毒素を抱えている。
でもこの毒素は患者が衰弱したときにしか攻撃してこない。
発症の条件は「いわゆる”現実”を怖れること」。
現実を恐れた人は、防御壁をつくる。高く、高く、外の世界(新しい人間関係、体験)をシャットダウンすることで、内側の自分は裸に残る。その無防備な部分に、この毒素はいっせいに襲いかかる。
高い壁から出られなくなった人は、ただただ壁を分厚くすることだけにエネルギーを費やす。内側の自分はそこで成長が止まる。
この毒素のターゲットは「意志」であり、「欲求」だ。生きる意志も、死ぬ意志も奪われる。(鬱は治りがけ、エネルギーがすこし回復してきた頃がいちばん危険って名越先生が言ってたのを思い出す。。。その時に自殺してしまったりする人が多いんだって。)
隣の人の邪魔になるとか考えるのはやめなさい。
もし気に入らなければ、彼らは文句を言えるんだもの。
それでもし文句を言う勇気がなければ、それはその人達の問題なのよ。
自分の問題と、他者の問題を混合してしまうのが、ほとんどの苦しみの元凶だよねぇ。
自分は主張するけど、相手の文句は受け付けないってのはもちろん違うよ。相手がそれを受け取るかどうか、どう受け取るのか、は相手が決めること。それを分かったうえで自分を表現する。覚悟を持って(自分に自覚を持って)生きる、人と向き合うってことかな。
それは生命力をもったつながりの中で生きるってこと。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
―『自分の感受性ぐらい』茨木のり子
説教臭い寓話はそんなに好きじゃないんだけど、
アルケミストおもしろかったよ。砂漠の旅とか、
錬金術とか、舞台が好きってのもある♡
さて今から読むのがこれ↓