無限と夢幻の時間を旅する魔術師ボルヘス…
言語的仮構であったはずの世界が、異様なほどのリアリティと物質的感触を持って、私たちに迫ってくる。
事実か虚構(フィクション)か?
どこからどこまでが現実で、どこからフィクションなのか戸惑うボルヘスの物語。でも…
ヒマラヤ奥地の雪男が存在するかしないかの真偽を「現実に」問うことよりも、雪男の存在を心底信ずる人間たちが「現実に」存在することのほうが、人間にとって、はるかに興味深い真実を示唆しているとはいえないだろうか。
これって、あれだよね。ユングがUFOについて「UFOが事実存在するかどうか、よりも、多くの人がUFOの存在を信じている(その存在に関心を寄せている)という事実こそ注目に値する」みたいなこと言ってたアレ。
事実か虚構か、なんだかそういうのがうやむやになっちゃう世界観。時間の感覚も、過去と未来が「円環」で繋がっているような、合わせ鏡を覗き込むような果てしない感覚。
われわれの運命はその非現実性ゆえに恐ろしいのではない。不可逆不変であるがゆえに恐ろしいのだ。
過去から未来へと、進むことしかできない時間の暴力的なチカラ。
人生からぬぐい去ることのできない脅迫的なクロノスの時間。すべてを押し流し、すべてを運び去るクロノスの時間。
時間はわたしを作りなしている材料である。時間はわたしを運び去る川であるが、川はわたしだ。
一方で、その時間を作り出している私。
誰かが私の夢を見ていて、私が私だと思っているのは誰かが見た夢で、その誰かというのがこの私が見た夢の中で生まれた誰かなのかもしれない………という恍惚的な悪夢。
胡蝶の夢は、私が蝶になった夢を見たのか、蝶が私になった夢を見ているのかって話だったけど。それをもうひとまわり、私は蝶が見た夢の中の存在で、その蝶は夢の中にいる私が夢見ている存在…ってな!!
この無限の、入口も出口も見つからない迷宮感!
「言語」の存在も、実はそれに近いんじゃないか。
言語こそが究極の監獄
言語によって世界を生み出し、言語の世界の中に生み出される私。
その言語が生み出す世界の数は、限りなく無限に近い。逆に言えば、それも有限の限りある世界。途方もない大きさの「限り」だけど。
存在しうるすべての言葉の表現、書物を集めた『バベルの図書館』。
万巻を知ることが、全能ではなく、むしろ知の無意味を明らかにしてしまうという逆説。
無限に向けて開かれていたはずの空間が、極限の幽閉空間になってしまう
たまらんね、この言語(世界)観!!
書物は孤立した「もの」ではない。
それは一つの関係、いや無数の関係が集まる軸である。
その本がどんな存在、意味、価値を持つのか…はその本がどの図書館(文化背景、社会、時代、個人の経験や思想、立場)の中で決まる。
これはまさに、ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』の中心理論!
一冊の書物とは多くの物の中の一つの物であり、それ自体の示す 象徴 に宿命づけられた読者と出会うまで、それは異なった宇宙を生きる無数の巻のなかに紛れている。
その出会いの瞬間、「美」と呼ばれる唯一無二の感興が生まれる。この大いなる感興の秘密は、心理学も修辞学も解読することはできない。
アンゲルス・シレジウスはこう言った、「薔薇(が咲くの) に理由はない」。二世紀後、ホイッスラーはこう言った、「芸術はただ生じる」。
願わくば本書が待ち望んでいたのが、読者であるあなたであらんことを。
(「序文」『私設図書館』一九八八)
そうだ、書店主フィクリーはこう言っていた。
小説というものは、人生のしかるべきときに出会わなければならないということを示唆している。
覚えておくのだよ、マヤ。ぼくたにが二十のときに感じたことは、四十のときに感じるものと必ずしも同じではないということをね、逆もまたしかり。
このことは本においても、人生においても真実なのだ。
各々の世界は、孤立した存在してるわけじゃない。
おや、ここにもシェイクスピア。
『トゥモローアンドトゥモローアンドトゥモロー』はタイトルもシェイクスピアの一節からだったね。
わたくしは、これまで空しく多くの人間を演じてきましたが、今や、ただ一人の人間、わたくし自身でありたいと思っております
わたしもまた、わたしではない。わがシェイクスピアよ、お前がその作品を夢見たように、わたしも世界を夢見た。わたしの夢に現れるさまざまな形象のなかに、たしかにお前もいる。お前は、わたしと同様、多くの人間でありながら何者でもないのだ
思い出したのは、長田弘のこのコトバ。
必要なのは高揚した言葉やたいそれた夢によって生きるということなのではない。
無作法なまでにじぶんであること、ただそれだけなのだ。
あとは、バラバラと好きなフレーズを宝箱に。
人は本当の意味で所有していなかったものしか失くさない、
星辰はもとの場所に回帰する。
私たちの漕ぐ小舟もまた、いつか夢で見たかもしれぬあの川岸の朽ち果てた社の傍らへと、ひたひたと無音の水音を立てながらいま近づいているのかもしれないのである。
星々の交差点で永遠が待っている。