ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

有限の素材で無限に限りなく近く、それも結局有限からは逃れられぬ迷宮の中で

いま、これを読んでいる。

 

 

まさに、「ことばのおもしろさ」!!!

ことばのしくみ、わたしたちの感覚との関係性、「ああ、そんな角度から見たらそうかなるほど、そういうことか!!」と興奮してお腹をポンポン鳴らしながら読んでます。

 

レトリック、ことばのあや。

それは「役に立たない不必要な飾り」でも「便利さで人を惑わすもの」でもない。

 

ことばという素材は有限である

そしてそこから無限に近いことばが産み出される

 

それがレトリックが必要とされてきた理由、レトリックに求められる役割につながる。

 

ちょうど、同時に読んでた(昨日ちょうど読み終わった)ボルヘス『伝奇集』解説本。まさに、今福氏が『バベルの図書館』に触れて、ことばの有限性と、そこから生まれる無限の宇宙の関係性だなぁ、と感動。

 

 

順番がヘンだけど、「ボルヘスの世界観を熱く語った本」を読んだあとで、本人登場。『伝奇集』読み始めるよ。わくわく!!

 

BABEL

 

図書館は、圧倒的無限の「知」の象徴であって、「知」の有限性、そして「知」の無意味さすらを知らしめてくる場所でもある。

 

おや。

「有限性」がキーワードな今日この頃。。。

 

生の有限性、いつかおわるいのち。

 

有限性を活用して、「きりのない」世界を仮固定しつつ、学び続ける技術。

 

それは「無意味」と「有意義」の狭間。

あえて「意味にとらわれない」って意味で、「非意味」って言ってた千葉せんせ。

 

意味を越える、非意味的「こだわり」が「衝動」。

 

 

有限性って、救いだなぁと思う。

夏休みが終わった主婦のため息。

 

永遠に続くとしたら、おそろしくて生きていけない。

いつかおわる、という「絶望」は、ひっくりかえせば究極の「救済」でもある。

 

そこには「だからこそ」がある。

ねぇ、誰だっけ?女性哲学者の末期がンの闘病記で、「なぜ私なのか」「運とはなにか」を書いていたのは。。。どの本で彼女の引用を読んだんだったか。。。

 

あ、この人かな!!!

www.1101.com

 

そう、私が読んだ本でも、彼女の「偶然性についての考え」に触れる内容だった。偶然と、運命。

 

あれ、この本8月に読んだ『日本哲学の最前線 (講談社現代新書 2627)』でタイトル見かけた気がする・・・わーー、これも読まなきゃ。

↑で見つけたほぼ日の紹介記事も、おもしろい。

 

私が彼女のことばに出会った本は思い出せないけど、そこで注目していたのは「だからこそ」ということばだった、気がする。いや、「そうであっても」だったかな??

ゆえに、しかれども、そういうことばの先にあることば。

そこに意味がつまってた。

 

わあ、『急に具合が悪くなる』も往復書簡なのかぁ!!

 

形式バッタお手紙じゃなくてもいいから、往復書簡というか、交換日記みたいなの、やりたいなぁ、ってまたむくむく思ってたところ。そんでもって、それも無限にイメージは膨らむから(笑)きりがないわけ。

そこに「きり」をつけるのが、有限性、非意味的な切断。

それは偶然のきっかけ、他者という存在であったり、時間という区切り。

自分のこだわりだって、偶然のかたまりみたいなもの。

 

今年始めた「遊び」もそうだけど、みきり発車でいいのかも。レールをしくまえに走っちゃう。だからどこにいくかわかんないけど、それもまたおもしろい。