文武両道ってのは、このコトバそのものが「学習」の在り方について言ってるんだって。一般的なイメージ、朝は寺子屋で一生懸命座学して、午後は道場で身体を鍛える…これだと、文と武が分離している。
知行同一、学習というのは「知」と「行」が関連しあって繰り返し回るサイクル。入力(感覚、経験)と出力(動かすこと、実践すること)の繰り返しの中で、変化していく過程が、学習するということ!
「知」を疑似体験のままにしておくのは、意味がない。
過去記事『もっと英語をスラスラ話せるようになるには - ことばのおもしろさ研究所』の中で、語彙の定着に対する一般的な誤解について書いたけど↓
✘知識(passive vocabulary)→定着→使える 図①
◎知識(passive vocabulary)→使う→定着 図②
Passive vocaburualy(知ってるコトバ)がactive vocaburaly(使えるコトバ)になる過程。①は一般的な語彙の定着のイメージで、②はコトバを習得する仕組みになぞらえたイメージ。やり取りありき。
(2)アウトプットからのフィードバックでインプットの質をあげる
・正しい表現に「訂正」されることよりも、自分で「振り返る・気付く」機会があることが重要
・相手のリアクションや返事からどんなふうに伝わったか(伝わらなかったか)
・その言葉が会話にどんな展開をもたらしたか(言葉を状況や場面と結びつけることで記憶に定着しやすくなる)
・その言葉がきっかけで他に気になる語彙や表現方法が出てきたか(active vocabに転換したい語彙リストに)
実践と繰り返し。地味だけど、これが学習。
できるようになってから実践しよう、ってのは「ホールケーキを配ってから切り分けよう」ってくらいナンセンス。(不思議の国のアリスでウサギか誰かが言ってた?)
このビデオを見たあと、ノート(なんでも帳のススメ - ことばのおもしろさ研究所)を読み返してたら面白いメモがあった。
一切智智
一切の智恵を持っているときの知恵は「意志」、行動しないと意味がない
「一切智智」でググると、「決断して選び取る」って意味が出てくる。「一切智」はありとあらゆる一切のことが分かる智恵、悟りの境地ですな。なんかググるとあれこれ解釈があってヤヤコシイんだけど・・・
決断して選び取る、それは「意志」を働かせるってこと。
養老孟子先生の言う「出力」のほう。
それでこのメモなのかな。ちなみにこのメモは小説家夢枕獏先生の語りおろし、『幻想神空海』を読んだ時にノートしたもの。
ビデオの中で言われている「文武両道」それから「知行合一」に、相通ずるものがあるんじゃないかな?入力だけだと「学び」にならんのだよ。「智」には至らんのだよ、ってことで。
それから平田オリザ先生の『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」 (講談社現代新書)』の読書メモから・・・
Learning Pyramid(学習ピラミッド)
これね、学んだことが長期記憶に残る割合を実験した結果を図示したピラミッド。記憶の定着率がいっちばん高いのは、「誰かに教えてあげること」で、いっちばん低いのが「講義を受けること」。
あ、上の三角形は似てるけどちょっと書き方が違うな?
読む(定着率10%)
聞く(定着率20%)
⇒把握、説明ができるようになる
図を見る/動画を視聴する(定着率30%)
展覧会(?)に出席する/デモンストレーションを見る(定着率50%)
⇒実演、実践できるようになる
参加型ワークショップ/協働活動をデザインする(定着率70%)
シミュレーションする/プレゼンする、実際にやってみる(定着率90%)
⇒分析、判断、創造、評価できるようになる
雑な直訳でゴメン
『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」 (講談社現代新書)』は教育の在り方について書いてある本だったから、こういうおもしろいデータも紹介されてた。
学力テスト上位25%の子どもと下位層25%を比較して、差が大きい家庭での働きかけ、接し方はなんなのか、ってデータが興味深かった。
・家に本がたくさんある
・小さいころに絵本を読み聞かせ
・英語や外国の文化に触れるよう意識
・博物館、美術館に連れていく
大きな差になっていたのはこの習慣、意識。なんと「博物館、美術館に連れていく」ってのは「毎朝、朝食をとる」よりもポイントが上だったんだって。
このへんは養老孟子先生のハナシでいう「感覚的な入力」のことかな。
学習できるかどうかってのは、心理的な要素も大きい。特に幼少期は、そっちがメインでケアすべきポイントなのかもしれない。