私はオタク気質なので、「ん?」と思ったらドはまりすることが多いです。で、ゴリゴリかき集めた理論や情報から自分なりの「現段階での納得ポイント」を見つけたら、すぐ飽きます。
この「自分なりの納得ポイント」を、その分野に関して予備知識なしの他者に伝えるのが、私はめちゃめちゃ下手。なので、「伝える技術」的な本を最近よく読んでます(そしてそれにドはまりしているnow)。
そういう伝える・聞く技術って、専門性や立場を超えた対話ができるかどうかってことが問われる。相手に伝えようとする行為そのものが、自分の「自分でも気付かなかった固定観念」にスポットライトをあててくれる。そこからまた自分の考えが変わったり、深まったりする。最近はこういうプロセスを哲学の定義として使うのがトレンドになってきているようだ。
講座、というか実際のワークショップを収録したような構成で、参加者からの意見を聞きながら展開していく流れになっている。一方的な説明はなく、展開に合わせて補足説明していく感じで、一気に説明されるのと違って頭が意味に追い付きやすい。
AI、シンギュラリティ、バイオサイエンス、ゲノム編集、トランスヒューマニズム、資本主義・・・概念だけ聞くと「うーん、むずかしそう」ってなるか、「うわ!!おもしろそう!!」ってなるか、かな?どっちのリアクションをする人でも面白く読める本だと思う。
各テーマにおすすめブックリストがあって、興味に合わせて広げていけるのもイイ。
自分の頭で考える。自分なりの答えを追求する。
それを相手に(相手の視点をちゃんと把握して)伝える。
子どもの教育への想いを語るときはいつもココにいきつくんだけど、私ができているかってぇと、ほんとにもう、ひどく苦手なわけで。。。だからこそ、実際に対話ができる場を作らねば、と思う。
これはまた語学にも当てはまるニンゲンの学習プロセスなんだけど
知識や情報 ⇒⇒⇒ インプット ⇒⇒⇒ 実践
という「勉強」の前提を
知識や情報 ⇒⇒⇒ 実践 ⇒⇒⇒ インプット
に変えないといけない。
専門的な知識を、質問者の視点に沿って伝えているいい例を見つけた。
【英語ママ必見】現役子供英語講師が教える「間違った英語で話しかけても大丈夫な理由」
「〇〇は安全です」じゃないけど、「理論的には大丈夫です」だけじゃ伝わらない(笑)相手が何に「不安」を感じて、どういう前提の「答え」を求めているのか、ちゃんと心を砕かないと。
相手のリアクションを見ながら、具体的な例をあげて(相手に挙げさせてるのが更にウマイところ)、自分にあてはめて考えてもらうことでこっちの伝えたいことを受け入れてもらう。先生側はもう「自分なりの根拠のある答え」を持っている(出てくる質問も想定内だろうし)んだけど、それを一方的に「こうなっているから、こうです」と言ってオシマイ!じゃないのが素敵やなー。
「苦手なことは得意な人に任せる」って考え方がひろまってきて、私個人はとっても賛成!なんだけど、コミュニケーション(理解する・伝える)は苦手でも、上手くいかなくても、それが当たり前なんだから、放棄しちゃだめだと思う。
コミュニケーションは「伝わらない」ことから始まる。
と、いうか。自分の得意なことを活かして苦手なことを他の人にお願いするためにも、コミュニケーションは磨かなきゃならん。「明るく、にこにこ、ハキハキ」しているかどうかは関係ないからね。それはまた別のハナシ。
と、いうわけでニンゲンと話す機会を増やそう・・・と思う今日この頃でありました。