ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

5歳のコトバの発達(英語)

シンガポールのローカル保育園に通園して半年の、息子イチくんコトバの観察記録。相変わらず発言がおもしろくって、年齢の割に幼い言動の彼が愛おしいです。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

ちょっと前の観察記録を見返してみると、やっぱりここ1~2週間で英語の「質」がグンッと急成長した感がある。「発話量」ももちろん増えてるんだけど、量はそんなに気にしてない。注目はやっぱり「質」の変化だ。

 

「基礎単語とリズムの段階」の次は「つなぎコトバ(文の連結)」、そんでもって「ニュアンスを伝えるつなぎコトバ」って順番なんだな!!!

つなぎコトバが増えたのは前の記事の観察記録でピックアップした特徴。

 

今回注目してるのは、ニュアンス絡みのつなぎコトバ。

alreadyとか、justとか、almostとか、その単語そのものに「これくらい!」ってカッチリした意味がない単語。その状況とか場面のニュアンスで、表してる意味(量)が決まるコトバ。

 

これ、大人の英語学習者だと後からオマケみたいにべんきょーする(しかも日本語のコトバに置き換えて)単語でしょ。それがおもしろいなーって。ニュアンスありきで、それを伝えようとしてフィットするコトバ。

 

これが最近多発してるってことは、こういう隙間を埋めるびみょーなコトバが「言語感覚」の基礎部分になってるんだな、ってこと。

 

あと、言語発達ってのはブロックを積み上げるイメージとは全く違うな、って思う。薄いレイヤーを立体的に重ねて、重ねて、時々張りなおして、そんで浮かび上がってくる「意味」が自分のコトバになってる、って印象。

 

  • 理解の足掛かりになる単語(ボキャブラリー)が増える
  • 文章全体に流れるリズム・テンポを身体で覚える
  • 文脈のあるカタマリとしてのコトバに多く触れる
  • 真似する、実際に自分の身体でフィードバックを得る機会がある

immersionじゃなくても、この「要素」を再現できれば日本国内で充分いい刺激を得られるはず。幼児さん~子どもは特に、先生以上に「友達」の存在が大きいなって思う。

【5歳】単語じゃなく文章の英語が口から出るようになった - ことばのおもしろさ研究所

 

そうそう、お友達効果はやっぱりスゴイ。

immersion(英語漬け)だから出来るようになるってわけじゃなくて、話したい分かりたい伝えたいって原動力が無ければほんまにただの雑音、immersionなんて苦痛か負担でしかないから。

 

息子はお友達とうまくやりとりできないストレスでこんなこともあったけど・・・

kotokotoba.hateblo.jp

今はそれなりに楽しんでるみたいで、良かったぁと思う。

週末のプレイデート(お友達と遊ぶ約束のこと)で、子犬みたいにおおはしゃぎして喜んでる姿を見ると、ほんと嬉しい。最初よく衝突してた男の子も、今はbest friend!って言ってるし。(まぁ、すぐまたケンカしてキライ!!って言うんだろうけど。。)

 

単語に関していえば、combineとか絵本にも出たことないし私も多分息子には使ってないような単語が出てきたりして、園の活動で聞いたコトバも吸収してるんだな!と感心したり。

 

こっちの幼稚園はwritingの練習もさせてるらしいんだけど、たぶん息子は新入外国人だからそんなに厳しくチェックされてないのかな?(笑)プレッシャーを感じずに思い思いのスペルで書いてるのが楽しい(笑)

 

彼のスペルミスがほんとおもしろいのよ。そうきたか!!!って。

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Mr.Greedy ⇒ Mr GreDe

Mr. Nosey ⇒ Mr noeze

 

書くのは好きなようで、ONe Dae (One day)で始まるオリジナルストーリーを書いてくれたりする。大文字と小文字のミックス具合がブランドロゴっぽくておしゃれ(笑)

 

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Black ⇒ BLARCK

フォニックスはだいたいイメージできてるっぽくて、ck、ee、th、ouみたいなセットで特定の音を表すつづりはサイトワードとしてすんなり受け入れてる様子。ローマ字からスタートした学生、オトナ学習者はつっかかるポイントだけどね。

 

ちなみに私は、スペルミスを「訂正してあげなきゃ!!」とは思ってません。隣で「ああ、blackのことね、b, l, a, ck..」って他の紙に書いてさりげなく見せるけど、「それは間違ってる」ってニュアンスにならんようには気を付けてる。

 

彼の英語は「表現したい」から書いたコトバだってのが、第一だから。そのコトバの大前提をないがしろにする態度は、コトバの教育によくないって思うの。

もちろん、スペルはどうでもいいって意味じゃないのよ。順番というか、優先順位を間違えんようにしたいなって思ってるだけ。ほら、元英語教師だから、ついついそっち気になりそうじゃん。

 

あと、そうだ、長い絵本も最後までじっと聞くようになったな!

「わからないけど保留」できる脳みその体力がついてきたんだなーって感動。これ、外国語学習でめっちゃダイジ。ひとまずストックする態度と言うか。

多分幼稚園でも、わからないコトバのオンパレードで、それをひとまず全体で頭の中にストックしておいて、また別の場面で出てくるもの、重なるものを「発見」していく作業をしているんじゃないかな。

 

何度も登場するコトバはレイヤーが重なってやっと存在感のあるコトバになる。文脈とか場面とか「共通点」「使い道」を立体的に把握する。

 

 

それにしても子どもの発達と言うか、コトバの発達って、線上の「量」の変化じゃなくて「質」の変化なんだなぁと思った今日この頃。学習って、「学ぶ」って、そういうことなのかもしれない。

 

 

学ぶってのは、情報を「持ってる」or「持っていない」っていうアルナシじゃないと思うんだ。(学校だとそれが学びの定義だったけど)

 

だからね、「わかりやすい」ことを求めて「わかりにくい」ものを切り捨てちゃったら、「学び」のチャンスを少なくしちゃうんじゃないかな。

 

わからなくてもとりあえず受け入れる。エネルギーをかけて消化・吸収する。そうやって自分の「身」に栄養としてとりこまれていく。成長の糧になる。そう思うんだ。

kotokotoba.hateblo.jp

 

走り書き中国語学習メモ!

シンガポールのニュースアプリで面白そうな記事をピックアップ。

play.google.com

 

スマホでちまちまやるのはシンドイから、Evernoteにその記事を共有して、PCで閲覧する。アプリに「共有」ボタンがあるからサクッとできる。

 

www.8world.com

 

でもEvernoteで直接編集できればよかったんだけど見にくかったからリンク先のニュースサイトに飛んで、リーダーズビューで快適に文章だけ抽出!広告も消去。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

音声再生なぜか途中のパラグラフで止まっちゃう?なんでかな?

ピンイン出せれば最高!!なんだけど、ちょっといい方法あったら教えて。グーグル翻訳にペーストしてピンインわからん奴はチェックしたよ。

 

それをここに書き込んでいってもいいんだけど、見づらくてしょーがないから、リーダーズビューのままプリントアウトしてペンでちょいちょいっと。(アナログの便利さ最強!!))

 

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ちょ~どA41枚分の文量だった。印刷もリーダーズビューの機能で簡単、簡単。グーグル翻訳にコピペした文章を読み上げてもらって、自分で読め無さそうなピンイン(私は注音記号派)をメモメモ。

 

あと、確認したいことに「?」マーク、今度使ってみたいなって思った新しい表現は赤ちょぼ( ..)φ

 

ほんで、中国語の先生に音読聞いてもらって、発音矯正と疑問点の確認、このテーマで中国語会話練習、ってプラン。次回初レッスン!わくわく( *´艸`)

 

www.google.com

外国語はもちろん、様々な言語のレッスンが提供されてるカフェトーク!ヨガとか太極拳、音楽とかボイトレ、演劇メソッド、執筆、占いとかカウンセリング系、資格試験とかビジネスコンサルみたいなのも出てておもしろい。

子供向けのレッスン、家庭教師みたいなのも豊富。

 

今私が定期的にとってるのは英会話の15分レッスン。以前は台湾語&中国語もしてたけど、これからは大陸系の中国語を練習する。(シンガポール簡体字だから、それに慣れたい)

 

結構、昔の記事見て使ってたサイトとかアプリ確認できることがあるから、これも走り書きメモ!そのうち忘れたころに「こういうふうにやってたな~!」と役に立つかもしれない。未来の自分に向けて( ..)φ

「部品の勉強はいいから、まず運転してごらん」

 「思想」とか「哲学」が本領を発揮するのは、そのスケールを自分サイズにフィットさせて、自分の世界に結び付けられたとき。

 

 

「あれ、ここなんのはなししてるの??」って戸惑う部分も多かったけど(笑)ソシュールで始まる6人の思想家たちの「運転方法」をなぞる現代思想の入門本、おもしろかったぁ!!!

 

コトバは「ラベル」じゃなくて「境界線」

コトバの仕組みを「関係性」の中に発見した偉大なる言語学者ソシュール

モノがあって、それにつける名前(コトバ)がある・・・んじゃなくて、関係性の中で意味のあるものとして浮かび上がらせるための「輪郭」なんだよ、ってこと。

 

自分の頭の中に「考え」がもともとあって、それをコトバで表現して外に出してる・・・ような気がするけど、考えとコトバはどっちももやもや~んって一緒に漂ってて、うまいことフィットしたところが浮かび上がって、コトバとして発せられている。

そんなハナシだった気がする。ざっくり(笑)

 

特に興味深かったのは、世界に輪郭を与える方法としてコトバが大きな役割を担う前の段階。コトバを覚える前の赤ちゃん。彼らは身体感覚で世界を把握してる。世界を把握することで、同時に自分の身体っていう世界じゃない側(自分の存在)を把握する。

 

感覚の違いが世界の輪郭だった。

それが、意味の切り取り方の違いが世界の輪郭にとって代わっていく。

 

コトバは輪郭を切り取る標識のようなものだから、それ自体に「意味(そのものの存在)」があるわけじゃない。ここんところ表現が難しいけど。

 

これをうまいこと表現してるなって思ったのが、鈴木大拙の本で語られていた「月と指」のハナシ。

 

 

月を示すために指をさす。

その指は月を意味しているけど、指は指で、月じゃない。

 

「コトバ」は何かを意味しているけど、コトバそのものは意味とは全く別の存在。たまたま対応させた「ルール」とか「習慣」ってだけで。

 

儀礼のアクションもそう。ソシュールの章で9回お辞儀をする中国の例が出ていたけど、これは同じ文化を共有するメンバーで決めた「最高の敬意を表す」ルールが9回のお辞儀ってだけで、おじぎっていう行為そのものに価値があるわけじゃない。

 

「狂気」と「正気」も、優劣とか価値は言葉そのものにはなくて、ただ「差異」があるだけなんだよね。その差異をどこに見出すか、とか、その評価や価値がどれほどのものかってのは、それを使う社会集団のルールで決まる。

 

ほんまのメッセージは作者じゃなくて読者にある

ロラン・バルト。文学批評って、作者の思想とか生い立ちとかそれを書いた経緯に注目するよね。そこに「特定の意味」を見出そうとする、「正解」がそこにあるって思うことを痛烈に批判しているのがこの人。

 

意識的に盛り込んだメッセージはそりゃあるだろうけど、必ず意識化されていないテーマ(盲点)がある。文学は閉鎖系ではなく複雑系だ!特定の意味に収斂していくんじゃなくて、いかに多くの意味が深堀りできるか、そうやって見て行こうとしたのかな。

 

あれだ、色んな解釈とか考察が生まれる作品が名作だって言われるやつ?

 

書き手の生み出した作品(テクスト)は、糸くずのかたまり、織物みたいなもの。意識的に編み込んだメッセージだけじゃなくて、無意識に引用している「意味」がたくさんある。というか、究極は全部引用やで、って。

 

終わることのない絡み合いを通じて自ら生成される

 

糸くずの例えが好き。

絡み合った糸くず、複雑なシステムそのもの、その全体像を見るべし、と。私ね、得技というか趣味と言うか占星術っていう読み物をしてるんですが。結構聞かれるの。「生まれてきた本当の意味はなんでしょう」とか「私の持って生まれた使命はなんでしょう」みたいな。

 

ロラン・バルト流に言えば、「あんたの使命、人生の意味は、終わることのない絡み合いを通じて自ら生成されるんです」ってところでしょーか。私は根元の一点に「究極の意味がある」とは全く思ってなくて。それこそ寄り集まった糸くずの全体像を見ようよ、それがオモシロイんだからさ、って思うのよね。

 

テクスト(作品)の統一性(つまるところの意味、真理)は書き手ではなく読み手にある。うんうん、そうだなーと唸る思想でした。

 

「力」に実体はない。システムが「力」なのだから

監獄パノプティコンから、システムが人の行動を規定して調整するって仕組みを見つけたミッシェル・フーコー。権力ってやつは、特定の誰かとか組織が「持っている」もんなんじゃなくて、社会そのもの、システムそのものに浸透しているルールとか強制力が正体なんだぜ、ってハナシ。

 

バーチャル・リアリティ、感染症に対する社会のシステム、なんだか今の社会のハナシをしてるみたいでゾゾっとした。

 

実は自然な反応じゃなくてルールに則ってるだけ

社会そのものもコトバの違い同様に、それぞれに優劣は無くて差異があるだけ、って言ったのがレヴィストロース。この本だとそのあたりはあんまり触れてなかったかな。

 

親子や親族の関係性だとか、社会の中で見えてくるいろんな「関係性」も、システムとかルールに裏付けられて無意識にそれに従ってるだけなんじゃない?ってハナシがメイン。あと、ニンゲンの本能は「交換」にあり、って。

 

情報も交換するっていう動きに価値があるわけで、情報そのものに価値があるわけじゃない、って視点がにゃるほどーだった。「持ってる」だけじゃなんの価値も生み出せない。

 

君は自分の隠れた「抑圧」に気付けるか

精神分析家のジャック・ラカン。自分の基準で相手を見てると、自分の「抑圧」によって見落としているものがあることに気付けないよね、ってハナシだったかな。

 

不快な状況、「抑圧」を敢えて繰り返し再現するのはなぜか?これは幼児のいないいないばあとかかくれんぼの例に通じるけど、あの「いつもダメ男とばっかり付き合ってしまう」的な例も当てはまるんじゃないだろうか。

 

幼児の例だと、無力な受動者からそれを作り出す側、能動者になることでコントロール権を握って安心したいって心理で解釈されてる。これ確か、名越せんせのゲーム実況で聞いたなぁ。

 


www.youtube.com

 

人は幻想で人を見る

オリエンタリズム」、東洋らしさってのは、西洋が西洋らしさを感じて満足するためにつくられた幻想なんじゃい、って言うたのがエドワード・サイード

 

西洋とオリエンタリズム、って捉え方についてはたしかこの本の前書きで引用されていた部分が分かりやすかったな。 

 

もう、レヴィストロースあたりから読むのがきつくなってきて・・・(笑)あれ、それ前の項目とどう関係あるの??ん、今なんのハナシしてるの??みたいな感じで集中途切れまくりだった。

 

「思想」をコンパクトにまとめようとすると、そうなっちゃうのかな。

 

「意味」の在り処

 6人の思想家でなんとなく共通しているのは、本体はどこだ、みたいなハナシかなぁ。ソコに実体はないぞ、あるのは輪郭だけだ、みたいな。こういうのを構造主義っていうんだって。

 

というわけで、次はこれ読んでみたい。

 

「部品の勉強はいいから、まず運転してごらん」

 

具体的にどう活かすかって、それがムズカシイところなんだけど。私は今趣味の分野でコレをあてはめて「ほうほう」と分析を試みてる。

*1:文春新書

*2:文春新書

*3:文春新書