ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

誰が、誰を、笑っているのか?

大好きだいじろーさんの発音ネタ!!

 


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特定の文化や個人の性質のステレオタイプを「あるあるジョーク」とするのは、どこの国も時代でも共通なんだけども、それが「炎上」することってあるじゃない。

 

「笑えません」

「たかがジョークじゃないか」

 

どうしてかっていうと、笑えるかどうかは、その人の立ち位置(力関係)によるからなんだよね!誰が、誰を、笑っているのか自分が第三者じゃない場合(笑われる側の集団に属している場合)、もしくは笑われる側の心境が(リアルに)想像できる人の場合、そのジョークは「笑えない」ものになる

 

 

ちょうど最近読んだ本のいい「具体例」になった。

私はステレオタイプジョーク(集団の特性を指したあるあるネタ)も、ブラックユーモアも大好きなほうなので、上の動画の日本人コントもおもしろかった。ものまねレベルはかなり質が低かったけど(だいじろーさん、分析力やっぱすげぇや!!笑)

 

上の本ではね、無意識の差別感情(=シンプルに、誰もが持つ偏った価値観のこと)に気付くきっかけとして色んな例が挙げられてるの。笑いやジョークもそう。

そんで「笑えない」立場にあるとき、笑いたくない(その価値観を肯定したくない)ときはどうするかってハナシで、「せめてリアクションしない、笑わない、真顔でやりすごすことでも表現できる」って言ってて。

 

それはリアルに顔を合わせてる場合限定じゃないかな、と思ったんだ。

だって、ネット上じゃ無言=存在しないからね。

あえて「ご意見」するしか、「真顔リアクション」すら伝えられないじゃない。だから、ワイヤワイヤと騒ぎになるんだろうけども。

 

 

頭の悪い(!)人はユーモアがないと言われてるけど、ユーモアがある人は無意識に人を傷つけてる可能性もあるんだよね。いや、頭の良いユーモアのある人はそこまでちゃんと配慮できる人か。

頭が悪い×ユーモアがない=つまらん人

頭が悪い×ユーモアがある=天然キャラ?

頭がいい×ユーモアがある=一緒にいて楽しい人

頭が悪い×ユーモアがある=意地悪な人?

 

ん?「ユーモア」ってなんだっけ。わからんくなってきた。

 

ユーモア/humor/の語源はラテン語フモール/HUMOR/(体液)から来てるらしい。
私はてっきりhuman(人間)から来てるのかと思った。人間らしさ、的な意味で。
意外なことに、humid(湿気っぽい)、humidity(湿度)と親戚の言葉なんだって。


調べてみると、古代ギリシアの医学の父ヒポクラテスがこの語源のキーパーソンでした。
万物は火、風、水、地の4つ元素からなる…と当時のギリシアでは考えれていました。
この4大元素説の影響を受け、人間の健康状態は4種類の体液のバランスで決まる
と考えたのがヒポクラテスでした。
四体液説/wiki

体液(フモール)が人間の体調を示すことから転じて、
そのうち人間の体調、気分をフモールと呼ぶようになったそうです。
人の気質、気分がいい状態と言う意味のフモールから、
今の可笑しいという意味のユーモアに変わったのは、ずっと後のこと。


ちなみにその4つの体液とは・・・・
(1)血液/blood/
(2)粘液/phelegm/
(3)黄胆汁/choler/
(4)黒胆汁/black bile/

血液が多い人は楽天的、粘液が多い人は鈍重、黄胆汁が多い人は気難しくて、
黒胆汁が多い人は憂鬱…てな風に、この4体液のバランスが人の気質にも
影響を与えると考えられていたようです!おもしろい~~!!


この4体液を示す単語それぞれが派生して、憂鬱/melancholy/や
メラニン/melanine/なんていう言葉ができました。黒っぽいイメージ繋がり。

 

なにごともバランスです。
人間がバランス感覚を養うには、自然が必要だと思うのです。
人間が、人間で作った人工脳(文明)の中にずーっと居たら
奥深くにある自然の本能みたいなもんが曇っちゃう気がします。

 

ちなみに私の主人はヒポポタマス/hippopotamus/という響きが好きで
よく私のことをポポタマスと呼びます。

 

ヒポポタマスの日本語の意味は、カバです。

 

人生は短く、術のみちは長い。
by. ヒポクラテス

 

sonogono.jugem.jp

 

 

なつかしい記事をひっぱりだしてみた。

言葉は価値そのものでしょう

昔の読書メモの書き起こし。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

 

本のタイトルは哲学者フィヒテのことば「君自身に還れ。君の外にあるものすべてから目を向け変えて、自分の中へ還れ」より。
 
言葉は価値あることをはなすためのもの。
ここでいう「価値」は「意味」と対比されてる。
 
「意味がある言葉」ってのは、有用、役に立つ、なにかしら目的があってそれを達成するための言葉であったり、意図のある言葉とかを指してるぽい。
それに対して「価値ある言葉」は必ずしも意味があるとは限らない。言葉を発することそのものが目的だったり、手段ではない言葉の大切さを見直そう、みたいなハナシもしてた。
 
勝ちってのは”損得”ではかれるもんじゃないんです。
 
実用性や有効性を伴わない言葉(それ自体が目的となる言葉)の最たるものが、
 
外部に働きかけてコントロールしよう、どうにかしてやろう、という意図を超えた感覚が「他力」だとお坊さんの大峯さんは言う。コントロール外の領域が「仏」で、その次元に向かうものが「菩薩」。
詩人は言葉でどうにもならない世界に言葉で向かおうとするから、「菩薩」的だよね、って。
 
哲学者も「詩人」的であれ、ってのが二人の著者の主張。
言葉にもっと感性を鋭く持つべし。
ウィトゲンシュタインは言葉に出来ない領域がある、と認めた。それは存在しているけど、語ることは出来ないんだ、って。そうだとわかったうえで、その先を見つめるのが「詩人」。
 
「内省するとはこういうことですよと、説明してわかることではないですしね。今氾濫している言葉は、内省されたものなんかではまったくなくて、周りが言ってる言葉、世間の意見が自分の意見になってしまっている。それで考えてるつもりになってる人が大多数ですよ。
 
ただ人の意見を思ってるだけなんです。
それを自分でもう一回考えてみることはまったくしていないで、流行りの事柄を漠然と思って、自分は考えてると言い張っている。」

言葉を流通させているだけで、語られている言葉本来の価値を考えようとしないんだね。では、言葉の価値って一体なんだろう。」
 
言葉の価値というか、言葉は価値そのものでしょう。」
 
 
死のリアリティが無くなっている現代は、生のリアリティも失ってしまった。
死を避ける、見てみぬふりをする、考えることを放棄する。死は自然現象の一部なのに、今や死が「不自然」なことであるかのような考え方が一般的なのはおかしなこと。
 
何かの間違いでも、不運でも、誰かのせいでもなく、それは「当たり前」のこと。(現象としてはね)
 

 

この本の内容とは無関係だけど、「運悪く」で思い出したこの一冊。

 

英語レッスンで感動したハナシ

20年前の自分から、ビデオメッセージが届いた。

 

「おれの事だから、たぶん忘れてると思って。

この夏のこと。ビデオ見たら、思い出してくれるかな」

 

「おれたちは観光旅行客(ツーリスト)じゃなくて、

旅人(トラベラー)だった。そうだろ?」

 

「おれたちを突き動かすのは、本に書いてある情報じゃなくて

好奇心だった。そうだろ?」

 

「なぁ、未来のおれ、覚えといてくれよ。

いつだって友だちをつくる時間はある。

そして、学ぶこともできる」

 

「それに、覚えてるかな・・・20年経ったおれは・・・」

 


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ぶわっ(´;ω;`)

今日の英語のレッスンでつかったビデオ。

天才かよ、先生。。。

 

レッスンの素材、構成、展開、切り口が、うますぎる。

 

私はSLA第二言語習得理論)的な「こうすれば効果があるだろう」「このパターンにはこういうトレーニング法」って知識はあるんだけどね、それをこうも鮮やかに具体化できるのか、と毎回感動する。

 

素材そのもののメッセージ、先生のレッスン提供方法、先生のストーリー、私のストーリー、何重にも感動する。

 

理論や理屈じゃなく、「感動」のインパクトたるや。

「言語」ってのは言ってみれば「心の働きに関わる装置」なのでね。いかに心を動かすかってのが言語を学ぶカギだと思うの。体系立てられたメソッドやハウツーはもちろんあるんだけど、「現場はそこじゃない」んだな。

 

事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!