ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

3歳息子と我が家の英語

息子イチ君、今年は幼稚園に入園しニンゲンとしてグングン成長した1年になりました。一緒に英語と触れ合う機会はグンと減ったけど、「頑張って英語を取り入れよう!!」ってほどでもない熱量の母です。

 

今は日本語にすごく敏感で、目に見えて言葉の力を急成長させているので、しばらくはこの成長期を楽しもうと思ってます。

 

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 私の取るスタンスは今のところ変わっていないかな。

 

 

毎日ではないのがさみしくあるんですが、英語の絵本タイムは私の大好きな時間です。

Nonfiction Sight Word Readers: Guide Reading Level B, Ages 3-7 (Nonfiction Sight Word Readers Parent Packs)

Nonfiction Sight Word Readers: Guide Reading Level B, Ages 3-7 (Nonfiction Sight Word Readers Parent Packs)

 

 SWRのペラッペラ絵本は文字導入のつもりはないので遊びながら読んでます。写真バージョンのLevel.2を導入したけど、文章のチョイスが無味乾燥なものも多く、読んで楽しむにはいまいち~な感じ。

 

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 I SPYシリーズはフリマの古本で日本語のやつを買ったんだけど、これが楽しい。英語のも図書館で見つけたら大喜びだったから、一緒に遊ぶ英語絵本にイイ。

I Spy: A Book of Picture Riddles

I Spy: A Book of Picture Riddles

 

大人もワクワクする大型絵本。ウォーリーを探せ、の写真版みたいな。雑貨とか小物がいちいちカワイイ。ビンテージ、レトロなデザインもキュンとくるね。

 

図書館で英語の絵本を眺めてるときに、イチ君が持ってきて借りてくれとねだった本。

Mama, If You Had a Wish

Mama, If You Had a Wish

  • 作者: Jeanne Modesitt,Robin Spowart
  • 出版社/メーカー: Simon & Schuster Children's Publishing
  • 発売日: 1993/04/01
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログを見る
 

なんや、絵柄がえらいシブいな〜!!と思ったけど、文もページに2センテンスほどでちょうどいい簡単さ。

 

「ママ、ぼくにお願いするならなぁに?」という無邪気な小ウサギの質問と、それに答えるママンとの会話。

僕、泣かない子に、なりますようにってお願いする?勇敢で、なんにも怖くない子になりますように?もうプンスカ怒りませんように?失敗しませんようにって、お願いする?

 

素敵に見違えなくても、どんなに大きな失敗しても、母さんはあなたが大好きですよ。

 

ママンがこうさぎに望むこと、それは………

 

不覚にも心にじわぁっっと感動と愛おしさがこみあげる…いい絵本でした。

 

イチくんは意味がわかってるのか?と思ったけどジーッと静かに聞いてくれた。そして寝る前にリクエストするくらい好きな本になったらしい。

 

 

ぼくにげちゃうよ (海外秀作絵本)

ぼくにげちゃうよ (海外秀作絵本)

 

これもママンとこうさぎのはなしだけど、If you had a wishはもっとシンプルで、親もハッとする内容。

 

我が子に望むこと、当たり前すぎて忘れちゃうこと。

 

マーブル状の、死者と生者の交差点

ことばのおもしろさ、というかニンゲンのおもしろさ、を探求する学問がある。それが民俗学

 

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以前読んだ本『21世紀の民俗学』が面白かったから、新しいものも読んでみたら、私的大ヒットだった。エッセイっぽいから、学術系イヤな人でも「おもしろ!!」って読めると思うよ。

死者の民主主義

死者の民主主義

 

 

あとがきで、著者が自分の本を評している通り

「滑稽で、ロマンチックで、生真面目」な本

 

「死者の民主主義」ってどういうこと?ってタイトルなんだけど。

別に政治的なハナシでもオカルトでもない本です。

 

我々は民主主義の世の中に生きてるわけだけど、民主主義が採る「ワタシタチの声」ってのは「今現在生きている、生者だけの声」でイイんかいな?っていう思いが込められているタイトル。

 

死者、つまり過去生きていた人々。今の価値観に至るまでの、先祖の願いや希望。それからまだこの世に生まれていない、未来の命。過去も未来も視野に入れた「ワタシタチの声」に耳を傾けようぜ、ってこと。

 

それをどこから拾い上げるのか?で、注目したのが妖怪とか霊とかいう不思議な物語。

河童や天狗、ザシキワラシといった妖怪は、災害や戦争から生き残った人びとのうしろめたさの感情が伝承されたり、霊的存在の集合をイメージ化してきたものではないか

 

妖怪が存立する理由のなかには、腑に落ちない感情や、割り切れない想いを合理化する機能があった。たび重なる災害、貧苦や労苦、身近な人びとの死を乗り越えて感情をコントロールするために、妖怪や怪異が「発見」された。

 

新しい妖怪が「発見」されるのか?という切り口でAI(アレクサやアイボ)、SNSの炎上について書かれているのが今どきネタでオモシロイ。

 

それから信仰とは切り離せない、「宗教」という存在の捉え方。

ちょうど昨日、長崎にローマ法王が来県して盛り上がっていたところ。

 

長崎、宗教、といえば、カクレキリシタン

遠藤周作の小説『沈黙』、そしてこの小説を元につくられた映画『沈黙』を題材に、日本人の信仰の「縮図」として潜伏キリシタンが挙げられている。

 

これ、私今年の夏映画を初めて見て、めちゃくちゃ衝撃を受けた。そして見た人の感想も、それぞれ全く違うところを見ての評価だったのにまた衝撃を受けた。エグい描写に免疫がある人しか見れんぞ。私は苦手なもんで、シンゾウバクバクの涙ドロドロ状態になった。

 

 

小説を読む勇気はない。

けど、潜伏キリシタンを悲劇のヒロイン、単純にピュアで美しい被害者(正義)vs弾圧する側(悪)という単純な描かれ方はされていない。そういう深さは、おもしろかった。

 

 潜伏キリシタンは、なぜ隠してまで信仰を続ける必要があったのだろう。

 その理由としては、先祖代々の伝統の継承を非常に重んじたこと、受けついできた習慣を放棄すると罰を受ける恐れがあると信じたことなどが考えられる。さらに、交通の便が悪い海辺や離島という集落の立地条件、先人が信仰を命がけで守ってきたことにたいする崇敬神などが入りまじり、日本列島の固有信仰、民間信仰、新旧の外来信仰が並存し、変化しながらも、大切に伝承されてきたのであった。

 

 

宗教の持つ意味が問い直されている今日、世界宗教と土着信仰の相剋を描いた作品としてはもちろん、二十一世紀を生きる私たちと相通じる、キリシタンの複層的な信仰観念念頭に置きながら、『沈黙―サイレンス―』を観ることをお薦めしたい。

 

 

長崎に生まれ育った友人の中にはカクレキリシタンに特別なシンパシーを感じる方も多いかもしれない。私は、よそのニンゲンであるからか、そういった感傷的な気持ちには全く共感できないし、むしろ『沈黙』を見て、弾圧した側のニンゲンが凝り固まった「悪」だとは全く思えず。やったことは許されない行為なのは分かるけど・・・。

 

被害者だ、加害者だと世界を固定したくない。

視野を固定せずに、白黒はっきりさせずに、上からマーブルを眺める視点を持とうとする学問が、民俗学と呼ばれるのかもしれない。

 

 

あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)

あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)

 

 別の言い方をするなら、それがあわいの力。曖昧さを受け入れる器。日本人が得意としてきたこの力を認めて、どんどん活かす時代なのかもしれない。

Time is Choice ~あなたは何を選択する?~

 Time is Choice(時間は選択)

日々の選択が積み重なって、人生を創る。

 

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要領の悪い主婦であるワタクシは、息子を園に送り出してから帰ってくるまでの6時間に必死に「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」を詰め込んでいるわけですが・・・

 

ときたま、やりたいことが無限に湧いて出てくるときがあって、それがストレスになる。それを実行できない現実に対するイライラ、みたいな!そういう時は、優先順位のつけ方を見直さないといけない。

 

優先順位をつけるときにダイジなのは、やりたいことをできるようにする、順番をつける、よりもやらないことを決めてしまうこと!!やらなくてもいいことを手放すこと。

 


勝間和代の、優先順位付けを習慣にすると、お金と時間に余裕ができます

 

まずはそこからだったな~、と、勝間和代さんのYOUTUBEを見て反省。

 

 

「選択」といえば最近、どっちにしようかな~とフワフワ迷ってることがありまして。「仕事」に関して。どっちに進んでも得るもの失うものがある状況で、何を天秤にかけるか・・・天秤の軸をどこに置くか、改めて考える機会になりました。

 

自分の立ち位置から分かれ道を検討する、ってのが今までの「選択」の視点だったんですけど、今回は最終的に到達したいゴール地点から考えてみました。

Undecided

大きな目標というか、理想とする人生を取り巻く環境を先に持ってくるわけです。「0歳も100歳もそれぞれが自分らしさを持ち寄って学び合える世界」が私のソレで、そこにいる私の価値観はどんな選択をとるだろうか、と。

 

やらなくていいことを、「もうやらない!」と決めて行動に移すのって、結構エネルギーいるよね!!!自分一人の習慣もそうだし、他人に関わることもそうだし。