57歳のハッピーバースデイ、シンガポール!
今日はシンガポールのナショナルデー(建国記念日)なので祝日です。先月くらいから国旗やお飾りが増えてきて街はお祭りモードです。
60年前は「シンガポール」って国はまだ無く、「シンガポール人」もまだいなかったわけで…
○○人って、その時代その地域特有の、一時的&政治的なカテゴリー分けなんだな〜って、思うのです。
ついつい(インド人かな?)(中国人だよね?)って思い込みを前提に「Where are you from?」って聞いちゃうんだけど、シンガポール人だよって答えを聞いてハッとすることがよくある。
○○語を話すから○○人って単純なもんでもなくて。
日本人は圧倒的マジョリティが同じような肌の色、髪の色、目の色で、日本語話者がほとんどだからピンとこないかもしれないけど、○○人ってすごく限定的で恣意的なカテゴリー分類なんだよ。
母語と国が一致してると、ナショナリティ(愛国心)とかアイデンティティ(所属意識)がハッキリしてて楽だけど、それが「当たり前」の世界的常識、普遍的真実だと思っちゃいけない。
○○人で仲間分けをすることで集団のコントロールは圧倒的カンタンになるんだけど、そういう目的でコントロールされた先ってろくなことがない。たいてい、ヘイトだし(笑)
息子に「赤ちゃんが生まれたら、何人になるの?シンガポール人?日本人?」って聞かれてさ。
役所的な回答だと、パスポートをどっち取得するのか(実は両方かのうではある)ってハナシなんだけど、そういうことじゃないよね。
○○人って、なんなの?って疑問だ。
生まれた場所で決まるのか?親の国籍、言語、役所の登録で決まるのか?
確かにそうなんだけど、よくよく考えたら、ただそれだけのこと、とも言える。
私は性格的に帰属意識、所属意識を求める傾向がかなり低いタイプなもんで、人より日本が好きとか家族が大切って感覚が薄いかもしれない。
蔑ろにしようとは全く思わないけど、たまたま居合わせた(時間的、空間的に)だけって気持ちが前提にあって…
だから「日本は!」とか「○○人は!」って熱く語る人のハナシになかなか入っていけない。
政治的、行政的なシステムややり方についての「日本は!」なら分かるんだけど、結構感情的な敵対意識、ステレオタイプのハナシが多いじゃないの。本人たちはそんなつもり全くないだろうけど。
あ、でもたまたま同じ時代、同じ空間に居合わせた人たちってのは、尊い仲間なんだなぁって、「チ。」の最終回を読んで改めて思ったよ。
そんでもってたまたまこのブログに目を留めて、最後のこの文章まで読んでしまったアナタとの、「出会っていない出会い」もまた尊い。
おもしろいねぇ