ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

肌の色も髪質も発音も、才能(ギフト)も

ディズニーのEncantoに驚いた!


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ステレオタイプのアニメーションに定評のある(そこが面白さ、コミカルさなんだけどね!)天下のディズニーの新作『ミラベルと魔法だらけの家』は、ついにヴィランもプリンセスも大義名分を抱えた冒険も手放した……!!!

 

子どもの喜ぶ「分かりやすい」アニメを提供するディズニーですよ。

それが人間関係とか自分自身の課題に向きあうヒューマン・ドラマになってるってことは…人類(子どもたちの眼)が成熟してるってことなのかな(笑)

 

コミュニティ(家族や地域)の中で、自分の「役割」を見つけるのは嬉しいこと。

でも時にその役割(セルフイメージ)が自分自身を苦しめる。

 

私の才能(役割)は○○だ。

○○は私らしさだ。

私の○○には価値がある。

私は○○だから、受け入れてもらえる。

○○じゃなければ、私に価値はない。

 

○○は役割なり才能なり個性なり実績なり経験なり所有物や誰かとの関係性だったり、いろいろあるよね。

 

そういえば『モアナ』のマウイも自分の存在価値を○○に重ね合わせてたなぁ。

 

 

私たちは「ワタシ」にいろんなものをくっつけすぎなのかもしれないね。

肩書きやセルフイメージとか言語化できるものだけじゃなく、感情とかもそう。

 

悲しみとか怒りとか、感情=自分自身の状態を心理学では「同一化」っていう。

「あ、ワタシは今怒ってるんだな」って自分自身を客観的に見ることが脱同一化だとか、メタ認知ってやつ。

 

視野が大きいとか視座が高い状態ってのは、この外側からの視点をどれだけ遠くまで引き伸ばせるってこと。

遠ければいいってわけじゃなくて、自在にピントを合わせられるかどうかが人間の「器の大きさ」に関わるんだな。

 

 

自分自身と○○の同一化だけじゃなく、他者と△△を同一化しちゃうのが私たち。

相手をわかった気になってるから、いろんな「対立」とか「問題」が生じる。

 

そんでもって、その「問題」を相手本人に同一化しちゃうから、悲劇が起こる。

問題は問題で、その人はその人。

解決すべき(変えようと働きかける対象)は、その人じゃなくて問題。

 

問題とその人を別物としてテーブルの上に出して、素直にそれを見られれば…

私たちはもっと、お互いに傷つけ合わずに、敵対せずに、一緒にその解決に取り組む協同作業の仲間になれるのに。

 

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世界はもっと平和になるのに。

ヴィランを打ちのめすスーパーヒーローなんて、本当は必要ないのかもしれない。

 

特別で際立った才能の持ち主だけが活躍する(しないといけない)わけじゃない。

特別な才能は喜ばしいものだけど、それはないといけないものじゃない。

時に才能が才能としてじゃなく嫌がられる性質(個性)として見られることもある。

 

どっちにしても、自分自身(○○を全部とっぱらっても残る部分)こそが祝福すべきギフトであって、奇跡なんだってこと。

そんな世界を子どもたちに伝えられたらいいなぁ、って思う。

 

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いや、ワタシは何もしないけど。

毎日朝から晩までユーチューブとか映画見てゴロゴロしてる、かなりアカンおかんなんやけど。

 

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