オモシロイ本を読んだから、めもめも!!
「レッスン」とあるけど、ハウツー本では、ない!!!
コミュニケーションのスキル的なハナシを期待するなら、こっちの本↓がすんごいモリモリ具体的に役に立つヨ。
どこからどこまでが「わたし」?
共感のレッスン 超情報化社会を生きるでテーマの軸になっているのは、自己と他者の境界線。
「ここからここまでがまぎれもないピュアなワタシ!」ってふうに、人間は生物学的にも精神的にも(!)ハッキリ分けられていないようだ。
生物学的にも・・・の部分で分かりやすいのが免疫系。
免疫ってのは、境界線を守るシステム。異物が体内に入った時に、排除する仕組み・・・そんなイメージだったけど、ちょっと見方が変わった。
免疫は、体外から侵入しようとするウイルスや細菌に対する戦闘部隊というより、必殺交渉人に近いのかもしれない。
ヒトは60兆個の細胞で出来てるって聞くとすげーな(全くピンとこない数字だけど)って思うけどさ、体内のウイルスを含む共生細菌はなんとその十倍以上・・・一千兆個なんですって。(さらにピンとこない)
総重量で言えば、脳よりも重い。
ヒトの遺伝子の99%は、「わたし」以外のもので成り立っている。それが身体を支えている。
そう思うと・・・ちょっといのちに対して謙虚になれるかも。
そう思うと、やっぱり人体と宇宙は似ているなぁ。宇宙を構成する要素の90%以上は「謎(暗黒物質、ダークマター)」でできているでしょ。自覚できないものがほとんどなんだよ。
だから小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)といったり、世界(外)の真理を追究すると、内観や瞑想とかして肉体に集中するのかな。
So Above As Below(上の如く、下も然り)
仏教の小我と大我ってこの辺関係ある?あれは単純に自我の範囲のハナシだっけ。
ウイルスは十九世紀の末に発見されて、まだ百年あまりですが、最初は人間に害を及ぼす最近のように捉えられていたのが、そうではないと分かってきました。ウイルスは、人間の身体の中で、とても有効に身体系を支える働きをしていることが、ようやく二十一世紀に入って理解されるようになってきたわけです。
その例として、ウイルスによって人や羊の胎児が出産まで守られているという驚くべき発見もありました。このことはウイルス学にとってはとても大切なことで、第2章の免疫系がなぜ母親の胎内にある胎児を異物ととらえて攻撃しないのかという理由を説明してくれます。ウイルスが働いて、人間の身体の中に合胞身体栄養膜細胞というものがつくられ、その膜によって保護されているという説明の仕方ですね。
これなどは、従来考えられていたウイルスの働きとは全然違っていて、ウイルスや共生細菌は、人間にとって、自己と他者の境界線を埋める存在として働くものだという新しい認識を与えてくれます。
ズームインしたりズームアウトしたりで目が回るんだけど、これもちょっと引きでみると「つながり」があなたの「命」を動かすってことよね。
コミュニケーション能力と境界線
もう一冊、まだ半分くらいまでしか読んでないんだけど、内容がリンクしていた部分を見つけたから引っ張り出す。
コミュニケーションがうまくいかないパターン(最近の傾向)について、それは見えているものに反応するのに、見えていない部分に反応する能力が低いことにあるんじゃないかって。
そんでもってそれ(見えてない部分)って、実は9割以上を占めるもんなんだよ。ダークマターなんだよ!そこを無視というか、「存在しないもの」として扱うから、ちぐはぐになっちゃう。
どうもワレワレは「沈黙」不足なんじゃないかな。
それからオールオアナッシング、白か黒か、二極化ウンタラという、西洋的直線的な価値観(世界の捉え方)は、このタイミングでいったん離れた方がいいんじゃないか、と。
あわい境界線を捉えるチカラ、記号化される前の「ざわざわ感」や存在感をキャッチできる感性。アジアの古い価値観とは相性が良いから、そこを見直したい。
やっぱりアジアがいいぜ!日本の精神、最高!うぇーい!って意味じゃない。どっちが優れているとか正しいとかそういうのんを、見直そうって言ってるんだから。
どうしても・・・
こういうネタになるとオカルト的視点と親和性が高いもんだから、そういう意見をよく目に耳にしてしまう。私はあれ、あんまり好きじゃない。好みの問題なんだけどね。
あ、オカルトそのものの「古代の叡智」とか「自然との関係性」みたいなものはとっても好き。ザ・オカルト体験についても、こっちのブログには書けないネタはいろいろある。(笑)
「賢い」というのは、非現実的なものを排除することではない
営業スキルとかビジネスネタ、ライフハックのYoutube好きでさ。ブログでもあっちゃんのYoutube大学とか勝間和代さんの動画を紹介してるんだけども・・・。
結構みなさま、心理系の内容が絡むと「スピリチュアルではありません」とお断りするよね!!!!と気付いた。私も「スピリチュアル」という単語にまとわりつくイメージが好かんもんで、否定的な文脈で使われてるのはわかる。わかるけども・・・。
「割り切れる」ことが「賢い」ってのは、誤解だ!!!とも思ってる。
頭の善し悪しの決定的な分水嶺のひとつは、この世には記号化されていない、でもあきらかに自分が体験として見分けられるものがあると知っていること。
「見分ける」の「見」は「身」でもいいかもしれませんが
『日本人にとって聖地とは何か』の中で、脳科学者茂木健一郎氏が述べていたコトバ。
彼ら発信者のほうは、そんなこともちゃんと「知っている」人たちなんだと思う。
記号化されていない部分、言語化されていない不安定で曖昧な部分、それは「分からない」だけで「存在しない」のとは違う。
哲学の祖、ソクラテスが言う「無知の知」。科学的態度ってのは、分かっていることだけかき集めて分からないことを排除することじゃない。
「分からない」(未知)に向き合うのは、ひじょーに不快。コンフォートゾーン(安全圏)を抜けないといけない。でもそこに学びがあって、成長がある。
「自分とは違う」意見、価値観、視点の相手と対話をすることで変化していくこと。相手を変えることじゃない。自分が相手に合わせることじゃない。粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと、これはまさに、答えのない問いに向き合う力!
と、いうことは・・・
今の自分に見えてない視点(答え)を得るためには、「自分とは違う」存在が必要不可欠ってこと。違いは排除したくなるのが本能的な反応なんだけど・・・そこは、免疫システムごと進化しないといけない。ヒューマン2.0に。
人生を変えるほどのインパクトを持つ有意義な活動×全くもってナンセンスな存在=最強!! - ことばのおもしろさ研究所
生物は「おりあいをつける」ことで進化してきた
病気(細菌やウイルス)との関係もそう。なだめたり、祈ったり、祀ったり・・・ってのは「バカバカしい民間信仰」ではなく、人間が生物的本能から編み出した知恵なのかもしれない。
そうやって進化して、生き延びてきた歴史があるんだから。
闘ったり、歩み寄ったり、くっついたり、はなれたり。
『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』ではアメーバの性質を例に挙げてたんだけど、これすごく面白い。引き寄せ合うか、共食いになるか、ギリギリのバランスをはかりながら生命活動を維持している。
生きてるって、デッド・オア・アライブの安定したカチッと固定された状態なんじゃなくて、ダイナミックな揺れ動きそのもののことなんだなー。
「おりあいをつける」ために共通点を見出したり、つくったりする。その高等技術がフィクション=物語の創作なのかも。
人間を人間たらしめた大きなターニングポイントに「フィクション」がある、という視点。神話を語る。目の前に無い世界、見えないものの存在をコトバの力を借りて表現する。そこから爆発的に人間は進化してきた。
記憶は身体の外にある?!
その生き延びてきた「記憶」は、身体に刻まれている。
個々の細胞の中にも、個の肉体の外(!)にも。心理学で集合無意識とよばれる記憶のデータベース。
コンピューターになじみがある今のわたしたちならイメージしやすいかもしれない。記憶は脳(意識)にあるんじゃなくて、場(外)にあるんだってイメージが。
クラウドとか、サーバーフィールドとか、そういう記憶のストレージとなる場が身体の外にあって、脳は個々の受信機、という考え方。ぶとんでいるようで、なかなか辻褄の合う説。
最近、アサギマダラが飛来するって公園に行って来た(見れなかったけど・・・)。2500㎞飛んで、海を越えて、旅をする蝶。
サケにしても、蝶にしても、それぞれの個体じゃ知ってるはずのないことを「記憶」してるってどういうこと???って思うんだけど、それこそ「種の記憶」のデータベースが個の肉体に限定されていないって思うとハハーンってなるよね。
脳が「記憶」に関して重要な役割を持つ器官なのはもちろんなんだけど、脳にこだわりすぎなくてもいいのかもしれないぞ、というハナシが『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』の軸になってて。
「脳はあくまでも身体の一部」として捉えたときに、気付けてなかった視点が見えてくるんじゃないかって。
重要なことは脳(意識、コトバ)を介さずに身体的に入りこんで来る。
それこそ記号化(言語化)される以前の「ざわざわ感」をキャッチできるかどうか、は脳(記号、言葉、意識)にこだわっていると磨けない能力だから。
でも、そういう曖昧でハッキリ意識化できない(わからない)能力が生命維持に重要なサバイバル能力でもある。種(人類)にとっての死活問題。
そういうわけで、宗教儀式があるんじゃないか?幻覚やトランス、恍惚とした一体感に浸るセレモニーはその能力を失わないために本能的に社会に組み込んでいるんじゃないか。
理解できない状況に向き合うために、自分自身が理解できない状態になる
これは人類の免疫システム。
未知のものにいかに対応するか。折り合いをつけていくか。そこんとこが免疫系の役割なんだから。多様性を維持できなければ、滅びる。どこかのタイミングで、消滅してしまう。
あやういネタ
もう、この辺のネタはあやうい。あやういネタになりつつある(笑)それにめちゃんこ長い。長くなったから、この記事はここまでにしとく。
特に「水」と「記憶」と「夢」のハナシ、まだ半分以上メモ書きが残ってる。オカルトになっちゃうもんなー。「スピリチュアル系ではありません」とか言い訳しながら書きたくないし(笑)
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。」
私はこの、無責任で曖昧な姿勢を忘れないようにしたい。