結局なんのために「教育」はあるのか
ここ最近、英語教育ネタで読んだ本たちメモ。
「小さい頃から英語はさせねば!!」ムーブメントと、そのハウツー本。それから「公教育の英語改革の方向それナイわー!」って本を中心に、貪るように読んでました。
第一章は「英語できないと将来ヤバイよ」って煽り。私が大嫌いな、コンプレックスや不安をモチベーションにする商戦。続く第二章は、英語できたらこんなにスバラシイよってはなし。教育関連のハウツー本はこの構成多い気がするんだけど、なんかテンプレートあるのかな。
第三章はから具体的な実践例。ここは面白かったよ!表面的な発話のウマさ(英会話)じゃなくて知的活動、学習能力に結びつく英語力を身につけるのを目標にした、年齢別アプローチ。軸となるのは「リーディング」。
自分で読むことができるようになれば自走可能だからね、うんうん。
語学能力って結局のところ「教える」ことは出来ないし、子供のうち、学生のうちに一定期間学んで終わり(完成)、には絶対ならない。常に、過程。
だから教育者側として意識しないといけないのは、「自ら学びつづけることができる」ようになるための訓練なのかもしれない。
この本でも幼児期に関しては「親子の関係」と「豊かな日本語環境」を大前提にしてる。歌や絵本はもう誰もが言ってるアプローチだけど、演劇って視点は新鮮だった!!確かに、彼らは真似っ子大好き。身体でコトバが使われている場面を再構築して、何度も何度も繰り返しながら、それを自分のものにしていく姿をよく目にする。
これまでのテスト体制で「優秀」な成績をとるのは、相手に合わせる従順で用心深い人間。優秀な指示待ち族を量産するのに効率がいいシステム。
最近浸透してきた(まだかな?)この考え方も、1997年からずっと言われてきたことなのか。
このひつじ英語教育ブックレットは、おもしろかった!!!!!
英語教育を引き下げることをずっと反対してきた英語や言語の専門家たちが、どうしてもやるならこういう風にしていかないと、ってまとめてる。単純に新しい取り組み、外国語に「否!」って言ってるわけじゃなくて、古臭い主張ってわけでもない。どっちかってと、SLA(第二言語習得理論)だったりCLIL(内容言語統合型学習、これから政府が取り入れようとしている外国語教育の指標)を踏まえて、日本の教育が進む方向を危惧しているって内容。
マルチリンガル(multilingualism)主義がヒューヒュー言われるようになったけど、外国語教育で目指す能力は複言語主義(pluralingualism)がイチオシ!
複言語主義って初めて聞いた。目指す方向性は自立した学習者を育成する教育。
中心に据えるべき柱は、コトバの運用能力。その力を育成するには、母国語の訓練ももちろんそうなんだけど、外国語学習は有効なツールになるのだ。有効なツールとするか有害な洗脳になるかは、まず教育観(マインド)を改める必要がある。
ブックレットは薄っぺらいし、講演会の内容を書き起こしたものと対談が収録されているから、すぐ読めちゃうよ。英語教育に関心がある人読んでみたら面白いと思う。
学校教育、というくくりで。
パブリックスクール、私立じゃなくあえて公立学校だからこそ、という視点で書かれた教育者の本。
人は、さまざまなアイディアを模索しいろいろなことに挑戦する自由を保障されているときに、みずからの力をもっとよい形で発揮できるものである。そのためには、一人ひとりの意見が大切に扱われる場所が存在していなくてはならない。
対話の原則。教育の現場だけでなくても、コミュニティでとりくむ方法もある。こども哲学や、対話の場。いつかやってみたいな~~~と思ってる!
さまざまな考え方の違いをすりあわせる努力をすることは、九九を早く覚えることよりもずっと大切なことだと思う。(もちろん、九九を早く覚えることも悪いわけではないが。)これは国家の経済的繁栄にとっても大切であるだけでなく、将来市民として活きるためにも絶対に必要なことである。
ひつじ英語教育ブックレットでも推奨されていたけど、少人数の縦割りグループは「学習」 に最適な形態・・・なのに、実際に取り入れられているのは幼稚園か、特殊な私立学校ぐらいなんじゃないかな?
我々は当初から、保護者を重視する学校づくりをしようと考えていた。まず、子どもたちが安心できる学校づくりを目指した。安心感が無ければ、知的な活動でリスクを冒して何かやってみようとは思えない。学校のやることに不信感を抱いている子供が自分の可能性をフルに発揮することなどありえない。学校が安心できる場所であるためには、両親が学校を信頼していることを子どもたちが自覚していなければならないのである。非常に難しいことだと思うが、これは絶対に必要なことである。
保護者をサービス業のお客さん、にしてしまうとこれがなかなかうまくいかない!やっぱり出発地点で方針をちゃんと理解・納得してもらわないと。
結局、多くの人が一番難しいと感じるのは、世界を他の人の視点で見ることができるようになるまで、十分時間をかけて他人の立場に身をおいてみるということではないでしょうか。
演劇って、これができるいい場になるってことで平田オリザさんが言ってた気がする。コミュニケーションの教室だったか、学生向けのワークショップもしてるのかな?
「やる気にあふれている者は、別の文化を全面的に受け入れることが出来る。たとえそれがどんなに『異質』に見えようとも」と、著名なアフリカ系アメリカ人の作家であり文芸評論家でもあるヘンリー・ルイス・ゲイツが述べている。彼はこう続けている。「しかし、尊敬のないところに寛容はなく、知識のないところには尊敬はない」
大切なのは、教育、すなわち何の ために 我々は教育を行っているのかということを自覚することである。具体的な目標は、教育の目的に基づいて定められなくてはならない。「何のために」ということをはっきりさせない限り、いくら教育について語っても、虚しく聞こえるだけである。
最後に、著者の学校で学生に口を酸っぱく伝えている大事な「知的な習慣(intellectual habits)」をメモして、パソコン消してお風呂に入ろう!!
1)証拠(どうしてそれがわかるのか)
2)視点(だれが何のために言ったことか)
3)因果関係(何が原因か、他に何が起こったか)
4)仮説(もし、仮にそうだとすると)
Thank you for reading☆彡