ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

「TODAY IS A GIFT」贈り物と分かち合いの世界へ

あけましておめでとうございます。

2019年イチバン衝撃を受けた本を、ブログの下書きに保存したままずーーっと紹介できずにいました。もっとじっくり、何回も何回も読み返して消化したい気持ちもあるのですが、心に響いた文章を書き留めただけの下書きを、ひとまず公開します。

 

ネイティブ・アメリカンの植物学者が語る 科学・癒し・伝承』

植物と叡智の守り人

植物と叡智の守り人

 

 原題は「Braiding Sweetgrass(スイートグラスを編む)」

Braiding Sweetgrass: Indigenous Wisdom, Scientific Knowledge and the Teachings of Plants

Braiding Sweetgrass: Indigenous Wisdom, Scientific Knowledge and the Teachings of Plants

 

 

感傷的でもなく、真面目くさってもいない、「原っぱと森のにおいがする」エッセイです。ネイティブ・アメリカンというルーツと、科学者というふたつのギャップがある立場から見た「自然」へのまなざしが、新鮮なようで心の奥深くにある小さい頃の思い出を呼び起こされるような、懐かしさも感じさせてくれます。

 

 

アミミドロは、魚や昆虫にとっての安全地帯だ。養魚場であり、捕食動物からの避難所であり、池の小さな生き物たちにとってのセーフティーネットなのである。

アミミドロ、Hydrodoctyonというラテン語は、「水網」と言う意味だ。なんと奇妙なのだろう、魚網は魚を捕まえ、虫網は虫を捕まえるのに、水網は何も捉えられない---そこに留めておくことのできないもの以外は。

母親であると言うこともそれに似ている。生きた糸が愛情込めて包み込むものは決してそこに留めておくことができず、いつかはその網目から出て行ってしまうのだ

 

 子どもの成長を見守る母親の心境も。同じく母親としてその切ない心境に共感したのか?自分自身人の子として、大きな母の愛情に(そして当たり前の存在すぎて気付けていなかった眼差しに)心打たれたのか?

 

ポタワトミ族では、女性は「水の守り人」だ。

儀式では、女性が聖水を運び、水のために行動する。「女性はもともと水とのつながりが強いんだよ、だって、水も、女性も、生命の担い手だもの」と妹は言う。

「女性は体の中の池で子供を育てるし、赤ん坊は水の流れに乗ってこの世に生まれてくるの。すべての生き物のために水を守るのは私たちの責任なのよ」いい母親であると言うことには、水を守ることも含まれるのだ。

 

象徴的な「水」だけじゃなくて、物理的な水も、守る役目があります。蛇口をひねれば水が出る。当たり前すぎてマヒしている感覚にハッとします。

 

ポーラ・アレン・ガランは著書『Grandmothers of The Light』の中で、女性は人生の様々な段階4螺旋を描くように通過していきながら、まるで月の満ち欠けを繰り返すようにその役割を変化させていく、と書いている。

 

螺旋はどんどん大きく広がって、賢明な女性の教えは、彼女自身や家族という枠を超え、人間と言う共同体を超え、この惑星を包み込んで地球の果てなるのだ。

 

「器」が大きくなるって、そういうことなんだよなー。女に限らず。

kotokotoba.hateblo.jp

 

本書には「贈り物」というキーワードが随所に出てきます。

 

贈り物は、あなたが何もしなくても無償でやってくる---招かれもせずに、あなたの元へ。
それはご褒美ではない。努力に対する報酬ではないし、それを呼び寄せることもできないし、努力によってそれを受け取るに値する存在になれるわけでもない。 

 

贈り物と言うのは、人を謙虚にさせる神秘的なものだ。不特定の人に向けられた親切な行為と同じく、それがどこから来るのか私たちは知らない。

 

見返りを求めない、無償のプレゼント。シェアするということ。 

「奪い合い」の競争世界から、「分かち合い」の共助世界へ

 


経済学者のルイス・ハイド「贈与経済」という考え方が紹介されています。

ものが豊富であり続けるのは、それが贈り物として扱われるから

 

秩序立ったギブアンドテイクの関係であり、人間が自然の増加に参画し、依存していることを認識する。自分の一部として自然に接し、搾取対象となる他者、よそ者とは考えない。取引の手段として好まれるのは贈り物の交換である。それによって、(自然の)増大と調和し、あるいはそれに関与できるからだ

 

あれ、これってGiverのハナシ?!グローバルマインドにも繋がってることに気付きました。そしてPay forwardの世界観。

 

blog.tatsuru.com

 

贈与経済、でググってみたらグローバルマインドの記事でも紹介した内田樹氏のウェブサイト記事が出てきました。気になる本を読んでたら出てくるし、好きなブロガーさんも紹介してるし、武道家だし、語学哲学の専門家だしで、もうファンになっちゃったよワタシ。。。

 

内田樹氏の記事では贈与経済をこんなふうに表現してます。

贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」するということです。それだけ。
「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。

 

今は夢物語に聞こえるかも知れませんけれど、僕は「交換から贈与へ」という経済活動の大きな流れそのものはもう変わりようがないと思っています。

 

内田樹氏は贈与経済が成り立つ前提に「相互扶助的なネットワーク」を挙げてます。今、私がボランティアで携わってる活動も「地域の相互扶助的なネットワークづくり」なので、繋がってることが嬉しいです。

 

大人が作ろうとしている社会のカタチ、を完成形じゃなくても子どもに見せてあげたい。むしろ私たちは常に「プロセス」にあるわけだから、どっちに進みたいのか、という意図が重要なんだと強く思います。

 

「贈り物経済」が成り立つ社会。セーフティネットが自然と作れる社会。価値観や文化背景が違う相手でも、必要な時に手を差し伸べて、困った時は声を挙げられて、周囲もそれにこたえてくれる社会。

 

さて本書に戻ります。

 

 

私たちは日々たくさんの贈り物受け取っているけれど、それは私たちがずっと持っているためではない。贈り物は動いていてこそ生命を宿すのだ。私たちが分かち合う呼気と吸気のように。

贈り物を次の人に伝え、この宇宙に自分が差し出すものは必ず戻ってくる。そう信じることこそが私たちの仕事であり、そして私たちの喜びなのだ。

 

人間同士の、そして自然(それから超自然)に対する信頼感と愛!本当は難しいことなんじゃない、はず。

 

私たち一人ひとりにできる1番大切な事は、自分だけに与えられた力は何であるかを知り、それをこの世界でどうやって使うか、ということだ

個性は大切であり、大事に育てられる。なぜなら部族全体の繁栄のためには、私たち一人一人がありのままに強くあり、与えられた力を自信を持って掲げ、他者と分かち合わなければならないからだ。

 

この「与えられた力」を競争社会のモノサシで見ると、「誰かと比べてより優れているスキル」になってしまう。 個性は大げさでもなんでもなく「宇宙からのギフト」。カテゴライズされた性格やパターンともまた違う。

 

自分自身に与えられた才能がどういうものであり、どうしたらそれをこの世界のために使えるかを学ぶ。それこそが教育の目的ではないだろうか?

 

一人一人がありのままに強くあり、与えられた力を自信をもって掲げ、他者と分かち合う。 今の教育システムは「奪い合い経済」がベースになっているけど・・・

 

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

 

理想論ばっかり、現状に対する批判ばっかり、だとヤんなっちゃうけど、最終的に到達したいゴールをリアルにイメージして、そこから逆算して現実を「選択」する、って生き方をしたいのです。 

 

kotokotoba.hateblo.jp