アウトプットはムズカシイ
読書会、なるものに初めて参加してきました!
読んで思いついたことはたくさんあるけど、それを他の人の話に絡めて展開させたりその場で頭を整理して言語化するのって、ムズカシイな~!!!と刺激的な時間を過ごしました。私、喋るのちょーへた!(笑)
何もきっかけがなければ手に取らなさそうな本。
今回テーマに挙げられたのは「学校教育」に関する部分。色んな世代の色んな立場の人のハナシを聞くって、すごく勉強になるし、気付きがある。こんなアウトプット、ビジネスマンだけ楽しむなんてずるい!ワレワレ主婦層も参加できる会がもっとあってもいいよね!って思う。そのうち立ち上げるかも。
「結論」は出さなくていい。「意見交換」で終わらせない。
「変容(=学習)」のプロセスを当事者として味わう。
これは「哲学対話」だな~
去年からぼんやりとカフェでやりたいイベントのひとつで描いていたイメージ、すこーし身近になってきた。
さてテーマ本、学校教育の在り方に問題提起している内容なんだけど、
世の中の大事なことは正解がないこと。でも考えて自分なりの答えを出さなくちゃいけない。だから学校では「疑問を持つ力」にフォーカスすべき
みたいなことが書いてあって。正解のない問いに対して考える力、選択する力をつける方法として学校がやってることはどうなのか?ってハナシ。
問いに向き合う力。大人でもムズカシイ。大人が難しいのは、子どものときやってこなかったから、先生がヨクナカッタから・・・って結論にしてしまうにも短絡だと思うんだけど。
ニンゲンが磨くべきスキルなんだから難しくて当然、ぐらいに私は思ってる。ニンゲン全体の発達段階があるとするなら、ここから先がこれから伸ばしていく分野。
あと、学校にこだわりすぎかなー。って。
学校教育が重要なのはモチロンだけど、ウェイトを置きすぎ?学校の中に社会で学ぶべきことの全てを詰め込もうとするから無理が出るんじゃないかなー。別にそこに社会の縮図をワザワザ作らなくてもいいじゃん、って私は思う。
生の現実社会を学びたいなら実際に社会で生活する大人と触れる時間を設けるのが手っ取り早い。放課後、週末、学外の時間まで学業の時間のために費やしてる前提を問題にした方がいいんじゃないのかな。
学校教育の評価の仕方を批判しながらも、学校生活ありきで学校に評価を求めていることに矛盾を感じる。
音楽なりスポーツなりいろんなコミュニティや競争がそこらにあって、学校はあくまで選択肢(評価基準)のひとつ。そこで活躍できる人に皮肉を言う必要なんてなくて、それはその人が得意なフィールドだった、それだけのことじゃん。って。
ん、でも教育はやっぱり方向転換が必要な時期に来てるんだろうけど!!
で、理想を熱く語る連中には「実際に自分はどんな行動してるの?」って問いがダイジよね(^_^;)私も理想や希望ばっかり先行してアタマデッカチになるんだけど。。。
規模が小さいなりにも、世代を超えた繋がりのきっかけづくりとか、小さな仕組みづくり!ボランティアだけど、無理しない範囲で続けていきたいなー。