私たちは「平均」というデータを基準に高い、低いを判断する。新たな科学的な発見というのも、新しい「統計データ」の完成なわけで。無意識に、平均=普通/標準/大多数という前提を持っている。
そしてその前提が、実はとんでもない思い込みだってわかったら?
まず、平均に当てはまる、ということがまず少数であること。数字に弱い私はここでもう混乱する。(笑)平均という概念が生まれたから、データの収集がぐっと容易になって、公衆衛生という分野ができたり科学の発展に寄与した。それは確かなんだけど、どこからか平均的データの扱い方を取り違えてしまって、ちょっとおかしいことになってるよ、ってのが本書の主張。
まず個人を判断することに平均は全く役に立たない。
それなのに私たちは当たり前のように平均を元に成績の優劣を決めたり、医学の根拠にしたり、性格や人格を判断する。
例えば身体に関するデータを集めて、相関関係を見る。
体重と肩幅だとか、足の大きさと身長といった身体の異なる部位の測定結果を比較してみた実験がある。相関関係は0(全く関係なし)~1(関係しあっている)のスコアで評価するんだけど、96の部位のうち0.7以上の強い相関関係があったのは数えられるほどしかなかった一方で、ほとんどが0.1以下だったんだって。
身体特徴にはばらつきがあるよ、そう言われれば「当たり前じゃん」って思うんだけど。腕が短い人もいれば耳たぶが大きい人もいるなんて、改めて言われなくても分かってる。
じゃあ心(=精神)の面ではどうだろう。
知能、つまり記憶したり学習したり判断する能力。これも一つの指標で表すことに無理がある。知能指数(IQ)にもいろいろあるけど、総合したスコアで判断すればその人の「優秀さ」がわかる、と思ってしまう。そこがおかしい。だって、暗記するとか判断するとか色を認識するっていう色々ある知能の側面も、身体の特徴同様にほとんど相関関係がない。バラバラ。ある能力に優れていて、別の能力が低い、冷静に考えたら当然のこと。それがその人の個性なんだから。
行動パターンと性格を結びつける心理分析がある。これも、特定の個人の行動を(客観的に)予測する、という意味では全然当てにならない。
人格的特性と行動パターンを結びつけて分類する。それは集団の傾向を把握するにはイイ。でもね、これも平均思考のワナ。人間の行動は、背景(環境)によって変わる。そこに個人差がある。
平均値を元に判断すること(統計学)は、システムを作るにはよいのです。ただ、それを個人に当てはめようとすると当たらない。占いは統計学とかたまに聞くけど、「統計」の定義は数学的な意味で使ってるの?ってツッコミもそうだし、もしそうだとしても、それを当たる根拠にしているという点でまるきり×!・・・ってことよね?
さて本書では平均思考のせいで判断を誤ってる事例がいくつか挙げられてます。母親の私に特に身近で面白かった例は、赤ちゃんの発達段階の例。
これ、保育士の資格取得のために一生懸命勉強してた内容なんだけど・・・今も保健師さん、保育のシゴトされてる方はこの知識をベースにお母さんの相談にのったりアドバイスしてるわけでしょ(^^;)う~ん、ってうなっちゃったよ。
発達段階、例えば赤ちゃんがハイハイをしたり歩き出す年齢。それもね、個人に当てはめるのが実は間違いで。ピッタリ平均値を叩き出せるベビーはむしろ奇跡?「身長は月齢の平均くらいなんだけど、体重が平均以下で・・・」と真剣に悩んで、それに対して「離乳食をしっかり食べさせて!」とか「母乳がうんたら!」とかアドバイスされるの、めちゃめちゃアルアルやりとりじゃない?
目安にしてもいいけど、気にしなくて(=悩まなくて)いいよ。
って言ってあげたい。母親は我が子のこと、真剣に悩むんだよ。無駄に真剣に。そして誰かを責めたり、子どもに無理をさせたりする。あー、これはなんとかしたい。
発達段階は「はしご」じゃなくて「網の目」。大人の学習プロセスも一緒じゃない?最終的な「歩く」というゴールに到達するために、順序もペースもバラバラなのよ。
ちょっと大きくなれば学校教育。
これぞ平均思考の砦、平均思考を植え付ける工場だともいえる。
学習に関して言えば、カリキュラム(平均値を元に作ったシステム)に生徒が合わせるんじゃなくて、個々の生徒にカリキュラムが調整するような仕組みが理想。それだけで成績はかなり上がるそうだ。計算が早い、遅い、呑み込みが早い、遅い・・・それは知能(成績)にほとんど関係がない。
それをニンゲンの進化の過程から主張している本が、コレ。
そうだそうだ、栄養についての勘違いも、この平均思考のワナだよね。

遺伝子は、変えられる。――あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実
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この本の例に、お肉LOVEで野菜嫌いなおっちゃんが「健康に良くありません」と言われ採食中心に食生活を変えてガンになっちまった、っちゅうはなしがあった。それは極端かもしれないけどね。
栄養摂取基準は日本人全体の統計データを元に細かく作られてる信頼できるデータだし、これまた保育士取得のためにめちゃ頑張って覚えたよ。成人女性(妊娠中)の一日に必要なウンタラの摂取量はカンタラ~って。忘れちゃったけど・・・・。
でも!!その人の状態、体質で必要な栄養摂取量は違うんだよ!基準表にある、カロリーもミネラルもビタミンもたんぱく質も、全部平均で摂取して体質に合っている人ってのは・・・・・いたら奇跡。
私という個人が平均値(システム)に合わせるんじゃなくて
システムが個人に合わせられるように工夫する。
この考え方は、教育、学習方法に限らずかーなーりー応用が利く。
と、いうか私たちの常識が転換する。
転換させないと解決できない、深刻な問題が多くある。
この本、「平均思考は捨てなさい」では「集団のデータを集めて分析、その結果を全員に当てはまる基準」とするからおかしくなっているのであって、「個々を分析してから、全体の特徴を掴んでグループ分けする」ことの重要性を繰り返し書いている。
自分、という平均から外れたスペシャルな存在を把握する。
データの収集、分析が先。そこからパターンを見つけて応用すればいい。
自分が持っている能力、強味、自分らしい味わいは何か。それをどんな場面で一番活かせるのか。どういう部分に気を付ければより自分の強味を磨くことが出来るのか。
そこよ!!平均思考から脱することが出来たら、そういうことに照準をしぼれるわけね。
ステレオタイプな分類で、あの人は◎◎座だからこういうところあるよね、とか、△型だからこんな行動パターンでしょ、みたいな。私は個人的にこういう考え方がひじょーーーーーに苦手でありまして。「タイプ分けがこうだから、こう」の相関関係の低さとその根拠が知れて満足でありました。
「え!でも当たってるじゃん!」って思う人が多いのはですね、心理的なカラクリによる部分が大きいんじゃないかな、と思ってます。
さてこちらのブログでも時々リンクで繋げる別館ブログでは私、占星術とカードを扱っておりますよ。まってまって、ここまで読んでもらえたんなら、ちょっとわかってもらえるかな?
私は占星術を「パターン化された性格診断」として使いたいんじゃないんです。
上に書いた文章をそのまま繰り返しますが
自分が持っている能力、強味、自分らしい味わいは何か。それをどんな場面で一番活かせるのか。どういう部分に気を付ければより自分の強味を磨くことが出来るのか。
それを分析するためのツールに有効だと、真剣に考えてるわけです。自分のあらゆる側面をチェックして、それをまとめ上げる作業ができる。その煩雑な作業が、「星図から導き出される人物像」に照らし合わせることで、スムーズにできる。
それがワタシ的占星術のおもしろさ。
そういう視点で占星術を読ませてくれる人、いないかなーーー。
リーディング方法を一生懸命勉強してても、生の人間の星図が読めないとツマラナイ。文法書よりも面白い雑誌を読みながらゴガクしたほうが収穫あるでしょ?そんな感じ。
興味ある人は、読ませてください。・・・と、まさかの占星術でハナシを締めることになりました。(笑)