なにかを学ぶということは、なにかに気付くということ。
「学習は変容のプロセス」というと小難しく聞こえるけど、つまりは何かに気付くことや発見することによって自分がそれまでの自分とは違う自分になるってこと。
そういう意味で見ると、学びは「知識を蓄えること」とはちょっと違う。
今のところ日本の学校は学びの場というよりは、日本という集団生活・文化に馴染むための訓練に近いのかもしれない。
気付きや発見がどこにあるか、といえばそれは「あれ?」と立ち止まる経験だとか、「わからない!」にぶち当たった時、「しまった!」と失敗したとき。
そういう自分の中の当たり前から一歩外に出たところに学びのチャンスがある。
小さい子どもはまだ「自分の中の当たり前」が少ない上に、発見や気づきを素直に受け入れる柔軟さがあるから、大人よりもずっと上手に学ぶことができる。
子どもの目を通して、私が見過ごしてきた日常に潜む「!?」のタネに気付けるようになったし、親の私が学ぶことがたくさんある。
Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ
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自分の中の当たり前から一歩外に出たところ、というのは「快」か「不快」かでいうと「不快」であることが多い。つまり、しんどい。
しんどい思いをすること、ストレスを感じること、それを避けてちゃ学びはねぇぜ、ってこと。語学に応用すると、「次のステップに進みたいならコンフォートゾーンを抜けろ」ってアドバイス。子育てに応用するなら、「苦労しないように、と親がお膳立てするのは学びの機会を奪うこと」という注意喚起に。
出会いを学びに変換できるかどうかは、その出会いを自分ごとにできるかどうかにもかかっていると思う。(語学もそう!)
自分との結びつきが強い事柄(興味関心、身近なネタ、必要性)なら目にとまる、耳に入る。情報キャッチ能力(=発見・気づきの可能性)がアップする。
子どもはどこまでも自己中心だから、全部自分ごとにできるわけで、そういう点でも学びの天才なのかもしれない。