ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

スタックですわ

 

英語(外国語)学習ってさ、なんとなく伝わる…なんとなく分かる…の段階がいちばん伸び悩むんじゃないかしら。。。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

アウトプットできる機会はそこそこあるんだけど、今度はインプット(聴く量と読む量)が圧倒的に減っている!!!今必要なのはこっちだな。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

過去記事見ると、びっくりする!べんきょーしてたんだな、私。丸一日Youtube見てる自分がアタリマエになっていた。やヴぇぇ。何かにハマると、もうそればっかりになっちゃう。

 

息子のおかげでたびたび自分の現実にハッとする。。。

(彼は私の人生の師匠、マスター・ソン)

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

と、言いつつ昨夜は(も)激しくファイトしたんだけどね。夫よ、早く出張から帰ってきておくれ・・・!!!!(´;ω;`)ウッ…明日は恐怖の週末だ。。。

子育てをまるっとやってくれていた夫のありがたさに、今更ながら土下座。夫のいる方角に向かって土下座だわ、ほんと。

 

 

そんでもって、今日は、これを読む。

www.yesmagazine.org

 

リーディングにお役立ち!これを使って、できるだけ、リーディングに対するいろんな負担を減らす。フォント、文字の大きさ、行間、背景色、これが変わるだけでもずいぶん読みやすい。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

  • スラッシュを入れながら音読(スラッシュリーディング
  • 分からん語はマーカー入れておく(その場では意味チェックしない)
  • とりあえず全体を読みとおす

(今ココ)

  • 第2ラウンドはマークした単語の意味もチェック
  • シャドーイングでもするかいな

 

あれ、付箋機能が新しくついた?

f:id:kotokotoba:20211112143759p:plain

 

このマーカーの量だと、多読用にはならないレベル。背伸びして精読したい素材。

kotokotoba.hateblo.jp

 

息子がばぶばぶだったころに比べたらうんと時間があるのに・・・語学熱が・・・あぁ、英会話サークルに行きたい。3Dで人と話したい、一緒にべんきょーするトモダチがほすぃい。

kotokotoba.hateblo.jp

 

英会話バディがほすぃい。

kotokotoba.hateblo.jp

定期的に英語で近況報告しあうだけで、楽しかったもんなぁ~~

幼稚園のタイムスケジュール的に、朝活&夜活は無理だけど。

 

久々にサークル復活しようかな?!!

 

私の信じる未来は・・・


www.youtube.com

 

貧困に関して言えば

お金のある私たちは 知ったかぶりを止めるべきです

会ったこともない人々に 靴や ぬいぐるみを送るのは やめるべきです

 

これが私の夢です

私が信じる未来では

人の仕事の価値を決めるのは 給料の額ではなく

周りに広げる幸せや 周りに与える意義です

 

私の信じる未来では

教育は ありふれた不用な仕事の 準備段階ではなく

いい人生の準備段階です

 

私が信じる未来では

貧困と無縁の生活が 特権ではなく

誰にとっても当然なのです

 

 

note.com

 

人は不足を認識したとき 行動が変わるのだそうです

何が不足しているかは 関係ありません

時間 お金 食べ物など どれでも同じです 

 

これは極端な貧困に限らず。不足感を抱いている状態と、足るを知る、感謝の気持ちを抱いている人とは行動が変わってくる。

摩訶不思議な循環が起こるんだよってハナシ

note.com

note.com

 

ここんところ、特に面白かった本をnoteで紹介する遊びがマイブームです。時に「非因果論」的なハナシもぶち込むので、真面目に書いてるこっちのブログとは連携しづらくって。

 

「因果論」的なハナシってのは、こうすれば⇒こうなるっていうロジカルなハナシ。

そういう思考の整理術みたいな考え方、批判的(哲学的)思考は大好きでこれからももっともっとべんきょーしていきたいな、とは思うんですが。。。

 

それと同じくらいナンセンスなもの、一見するとくだらなくて何の役に立たないものについて考えるのも大好きなんです。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

やっぱり何がナンセンスかっていうと、「非因果論」的世界観なんですよ。

私たちは言語(論理)という接点で主に世界に触れているから、一直線上の因果関係でしかものごとを捉えにくい。そんで、それが全てだと思い込んでしまう。

 

でも「身体」っていう接点で見ればそれは前後関係だけじゃない全方向の「感覚」があるわけで。過去と未来を分けて考えない情報の捉え方をしてるでしょ。トラウマは過去を今目の前で起こっているかのような反応を身体が引き起こすことだし、不安ってのは未来を先取りして感じている脳の働き。

 

 

「感情」は個人を超えて集団に影響を与えるし、「論理」とは別のシステムとして機能している。しかも人間の行動は「感情」が機動力だもんね!

 

 

「意志には抑止力しかない」ってのは衝撃的な仮説だけど、そういう視点もオモシロイ。(ベンジャミンリベットの実験)

 


www.youtube.com

 

で、非因果論的なハナシってのはね・・・

因果関係のない、全く「こう、だから、こう」で繋がらないモノゴトを、「意味」というまとまりでつないだもののことなのよね。こういうのを心理学では共時性シンクロニシティ)といって用語をつくってくれているんだけども。

 

note.com

 

因果関係じゃあ説明できない何か「つながり」のようなものがあるぞ?ってのが発端だよね。そこから無意識とか潜在意識って世界が認められるようになって、脳神経学やらなんやらで「説明」がなされるようになると、それも因果律のなかに組み込まれるようになったわけだけど・・・

 

内界は、すなわち無意識界である。

それは内省可能な領域を指しているのではないことに注意しなくてはならない。自己をみつめるとか、内界に目を向けるということで、自分の感情をあれこれ表現したり、自分の心境をああでもない、こうでもないとひねくりまわすようなことをする人もあるが、そのようなことを言っているのではない。

われわれが問題としている内界は、自我によってコントロールできない、 あちらの世界なのである。

 

note.com

 

私はそういう非因果的な世界観を土台にして発展してきた「占い」の類をけんきゅーしながら、やっぱりおもしろいなぁ目の付け所が!!!といつも新鮮なオドロキを楽しませてもらってます。

 

note.com

これは一種の人工言語、ひじょーに「哲学的」な。

 

でもやっぱり、「占い」界隈で出会う人の中には

「○○座(△型)だから~な性格なのね」

「占いではありません、統計学です」

「XXXを連続で見ました。どういう意味がありますか?」

と言う人も多々いて、私はそこには賛同できないんだよね。

それって因果律じゃん。

 

ニンゲン、固定された視点(前提となる信念)はなかなか外せないんだな~、と。そうであるならなおさら、論理的な「思考力」がないと危うい世界だな、とも思う。。。

 

統計うんぬんに関しては、説得力を持たせようとして「科学的」だという疑似科学詐欺の類と変わらんじゃないか、とも思う。

 

むしろ「占い」は再現性のない「その時その一瞬」にフォーカスして、因果律や科学的裏付けからこぼれおちたその人独自の「ナニカ」に光を当てようってココロミじゃないのかな。一人のニンゲンの生命に、人生との向き合い方に、正解も、再現性もあるわけないやん。

そこに真剣に向き合う、もしくは向き合ってもらうってのは、とても意味のあることだと思う。

 

そうなると、臨床心理やケアの世界に通じるもんもあるんだろうね。そういう分野の人が提供しているケースも多いことを知った。

「上司」とか「同世代の友達」とか「ちょっとカシコイ経験豊富な人」とか、そういう枠をとっぱらったある種ランダムでカオスな視点で、問題や課題を見つめてみるってのもすごく創造的な営みだよね。

 

問題が問題なのは、それを同じ次元で見ているからだ。

ね、アインシュタインもそんなようなことを言ってた。問題はそれと同じ次元では解決されない、って。視点(捉えどころ)を変える必要がある。その大幅なスケールアップ&ダウンのピント調整金力トレーニングに、私は占星術を使っている。

 

性格や過去を当てたり、未来を予測することにはあんまり興味ない。決めつけられるのは大嫌い。考えることを放棄するのも嫌だ。(「占い」の危うさは、ここにある)

 

不可思議は不可思議なまま、世界の色んな側面を楽しみたいよねぇ。

ああ、私、いったいどこに向かってるんだろう・・・(笑)

 

目下、構造主義的なまなざしで、臨床的な姿勢で、「占い」の類を楽しんでおります。おもしろいよ。そいで別館ブログが盛り上がって、いまやこっちよりもメインになってきている(笑)

 

例えば私は出生日と時間、場所から割り出した星図を元にリーディング(翻訳)をする。占星術には占星術の、ちゃんと文法とか単語とかルールが(やかましいくらいに)あるんだよ。

私はそれを「鑑定」としてではなく「物語」として読むのが好き。その人のためだけに作るお話の語りきかせ、弾き語りみたいな。そうすると、不思議なことに「非因果的な」ことが多々あり、受け取る人と私の間でなんかものすごい感動が生まれたりってことがある。これもオモシロイ。

 

それで私はショーバイをするつもりはないから、お礼に「本」をいただくの。そんでまたオモシロイネタが集まって、次に出会う人の物語のカギになってたり、なんて摩訶不思議な循環が起こる。

 

 

「非因果的な世界を楽しむ」というとどうしても、ぶっとび系のオカルトに触れる機会が多くなるのが・・・悩ましいところなんだよなぁ。エンタメとしては昔から大好きだったんだけど、ここ数年は、なんというか・・・ほら、ねぇ。笑えないネタが増えつつあるし(笑)

 

それもやっぱり、因果律的な視点で世界を判断しているのか、非因果的な感受性で新しい視点を見出そうとしているのか、って自覚がいるんでないのかな。

 

バリー・ベイヤーの思考スキル

①実証可能な事実と価値主張の区別

②無関係な情報・主張・理由から関連する者の区別

③陳述の事実に関する正確さ

④情報の信頼性

⑤あいまいな主張や議論の特定

⑥述べられていない仮説

⑦偏見

⑧論理的エラー

 

せっかく、ロジカルなオモシロサマジカルなオモシロサ、一方が一方を馬鹿にしたり蔑んだりすることなく、両方楽しめる人が増えてきたんだから、そのバランスのとり方が今後の課題なのかな。

バランスというか、メタ。AとBの視点を手に入れたのなら、Aの時の自分をBの視点で見るだけじゃなくて、AとB両方を見るCの視点も必要になるってこと。

 

自己実現とセルフケアにCの視点はすごくイイ!!と思うんだけどなぁーーー

占星術界では異端だし、カタギでもアヤシイやつ扱いされちゃう。

 

どうにかその視点のオモシロサを言語化したいと思ってブログやらnoteやらで一生懸命書いてるんだけど。