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語学好きによる語学好きのためのブログ。下手の横好き、でもいいじゃない。最近は育児(+英語)のネタが多め。

子ども(乳幼児期)の英語教育③

 口にする言葉の種類が増え、発音も曖昧さが少なくなり、聞いたその場で真似できる言葉も多くなる一歳後半。子どもの言葉の吸収力を見せつけられる驚きの毎日に、どうしても欲深くなってしまう親心。

 

これだけ言葉の吸収力が凄い今、英語教育を推し進めるチャンスなんじゃないか?いやいや、この時期だからこそ母語(日本語)の土台をきっちりつけてやるべきか?

 

今週はぼんやりそんなことを考えながら、図書館で幼児期の英語教育について書かれた本を数冊借りて読んでみた。

 その中で印象に残ったのがこの一冊。

 

 

普通のこどもが普通にやってバイリンガルになる世界初の英語習得法 CD付 (アスカカルチャー)

普通のこどもが普通にやってバイリンガルになる世界初の英語習得法 CD付 (アスカカルチャー)

 

 メソッドうんぬんも面白かったんだけど、私は前書き部分に書かれていた著者の英語(言葉)に対する考え方に興味が惹かれた。

 

ザックリまとめるとこんな感じ。

  • 子どもは「言葉の海」にどっぷり浸かっている。乳幼児はそこから言葉を学んでいく。大人が取捨選択した限定的で簡単な「言葉のプール」ではなくても、自分で言葉をパターン化して身につける能力が備わっている
  • 英語はあくまで外国語。幼児期に優先的に育むべきはその子をとりまく場(社会)の言語である日本語。
  • 英語はバーチャルなものとして触れさせ、日常生活には組み込まない。
  • 幼児期に英語の回路を日本語の回路とは別の物として頭の中にインプットさせる。(日本語を介さない英語を身につける)
  • 一旦英語の回路がインプットできれば、その後日本語の陰に隠れてしまっても引き出すことができる
  • 英語の「かけ流し」を毎日行う。ただし、「まとまった長さのある自然な文章」かつ「挨拶や日常生活のフレーズ集ではなく、ストーリーのあるもの」。

 

「言葉の海」という例えに共感。そして少し前に話題になったあの小説も思い出した(言葉に興味がある人なら更にオモシロイ物語)。

 

舟を編む

舟を編む

 

 

 イチ君の言葉の発達を観察していると、強く思うことがある。

 
大人が「部分→全体」で外国語を学習するのとは逆に、子どもは「全体→部分」で言葉を学んでいる

 

 もちろん単語(物の名前)を覚えてそれを組み合わせて文を作っていく過程(部分→全体)もあるだろうけど。

ラジオやカメラを分解してつくりを調べるように、完成した言語という記号の集まりを頭の中で分解・分類・判別して、そこから小さなパーツをトライ&エラーで組み立てながら学習しているんじゃないか。

 

 赤ちゃんは大人から発せられる音の塊が自分に向けられていることに気付き、それが何らかの意味を持つことに気付き、音の塊にパターンがあることに気付き、組み合わせによって意味が変わることに気付き、そして組み変わるひとつひとつの部分はそれぞれ意味のある何かを指していることに気付く。

 

気付きこそ学び。そして子どもは大人よりずっとずっと気付くことが得意だってことを忘れちゃいけない。知育や教育と言うと、どうしても「分かっている大人」が「分かっていない子ども」に知識や情報を注入してやらなきゃいけないような気がしてしまうけど、気付きの機会が多く得られるような環境を整えることが大切なんだと思う。

 

 

ひとまとまりの言葉から、部分の言葉を学ぶ」様子から、人類の言葉の起源は「歌」だったんじゃないかという説もある。

 

言葉はなぜ生まれたのか

言葉はなぜ生まれたのか

 

 

 

 

 この「言葉の海」から言葉そのものを学び取る乳幼児の能力に着目して、英語のかけ流しをしましょう、というのが先に紹介した本で挙げられていた英語教育メソッドの中心軸。ただし、日常会話や挨拶等のフレーズ集ではなく、まとまった長さの文章で分かりやすいストーリーのあるもの。無駄な効果音やBGMがないもの。その最適な素材としておとぎ話を挙げている。本書の付録はジャックと豆の木の朗読CD。

 

 

さてもうひとつ、イチ君の言葉の発達の大きな変化から気付いたこと。

今までひとつの単語をひとつらなりの音の流れとして発声していたのを、音の組み合わせとして意識して発声するようになったということ

例えば親友のウサギのぬいぐるみ、バニさん。「ばぃたん」とか「ばぢたん」とか一息に呼んでいたのが「ば、ぢ、しゃん」と言ってみたり、しらすを「ちゃっしゅ」と言っていたのが「ち、あ、しゅ」と言ってみたり。

 

単語をリズムやイントネーションで真似ていた(外国人のモノマネでそれっぽく喋るアレみたいに)だけだった彼は、気付いたのだ!それぞれの単語はもっと小さな音の単位をくっつけて出来ているということに!

 なんだそんなこと、と大人は思うかもしれない。でもよくよく考えてみると、この「音のカタマリ方」の特徴を掴むことこそその言語の特徴を掴むことじゃないか

 

 日本語は「子音+母音」をひとつの単位として一音一音があって、それを横に並べて発音する。

英語は英語の音のカタマリ方、強弱のつけ方がある。中国語やベトナム語になると音に対する感度はかなり重要になってくる。

 

大人が発音や聞き取りに苦労するのは、外国語それ独自の音のカタマリ方が分からないからだと思う。日本語の音のカタマリ方に(無意識に)照らし合わせてしまうとまるでダメ。

 

 

言葉を音のカタマリで捉えている、で思い出したのがこの本。

 

言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)

言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)

 

 失語症の色んな症例、脳の損傷部位から言葉についてそして心について検証している。その中の一つに、言葉の音の組み合わせが上手くいかないという症例があった。

言葉は心の動き。ただし、心と言葉がどう繋がっているのか?失語症という特殊な状態からそのブラックボックスを探れる…かもしれない。

 

 

音のカタマリ方、の話に戻る。

子どもにフォニックス(英語の発音基本ルール)を教えたいなら、音のカタマリを意識できる時期、それも英語らしい音のカタマリ方をインプットした上でスタートした方が良さそうだ。

イチ君の場合はもうちょっと先だな〜。

 

 

吸収力、柔軟になんでも受け入れることができて、気付きの感度が凄まじく高いこの時期。

 

「英語教育はやっぱり今がチャンスなのか?語りかけやかけ流しで英語に触れる時間の割合を増やすべきか?」

 

私個人は、今の時期だからこそ、母の生身の言葉、母語でたくさんたくさんお話ししたいと考えてる。英語は英語で、エンターテイメントとしてこれからも触れていく。絵本、お歌、ABCのオモチャでも遊ぶ。ただ、そうしているときも日本語で会話を楽しむことを忘れないようにしたい。

 

この時期の英語教育の目的は、発語がどうのというよりはこの「英語の音のカタマリ方、リズムをインプットする」ことに尽きるのかな!アウトプットや知識やスキルの習得のようなことは意識しない。

 

 

 音のカタマリ方や言葉のパターンを学べるように質の良い豊富な素材と環境が必要、というのが先の本を読んで母が学んだこと。

 とりあえず、この付録の朗読CDを使って移動中の車内限定で「かけ流し」を始めてみようかな!とお出かけの際は車の中で聞きながら移動。(気に入ったセリフがあるらしく、ふにゃらふにゃ〜と真似するのがカワイイ)

 

 日本語に興味津々のこの時期が過ぎたら、できることもぐんと増えている頃だろうから、また英語遊びもいっぱい楽しみたいな!

 

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

 

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