ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

境目を見つめるまなざし

 わたしにとっての民俗学とは、まず「感情」を手がかりに、さまざまな社会現象に取り組む姿勢のことである。過去の人びと、現在を生きるわたしたちの感情が反映していると考えているのだ。

~中略~

土地や場所、記憶や記録、あるいは広い意味での信仰について考えることであり、すべて感情にかかわることなのである。

 (序 ― 二十一世紀の「感情」より引用)

 

21世紀の民俗学

21世紀の民俗学

 

 

民俗学」と聞くと古い民話や伝承を研究する古びた学問なイメージがあるんだけど、新鮮なハナシに感じた。目次を見たら、その面白さと民俗学の雑多なオモシロサがわかると思う。

 

  1. ザシキワラシと自撮り棒
  2. 宇宙葬と星名の民俗学者
  3. 薬師如来と「ガルパン聖地」
  4. テクノロジーの残酷
  5. 景観認知症
  6. 文殊菩薩の化身たち
  7. 無音盆踊りの「風流」
  8. ポケモンGOのフィールドワーク
  9. 祭の「機能美」と戦後建築
  10. 複数のアメリカ国家
  11. UFO学のメランコリー
  12. 山伏とホメオパシー
  13. お雑煮の来た道
  14. すべての場所は事故物件である
  15. 河童に選挙権を!
  16. 大震災の「失せ物」

 

個人的な「感情」にひっかかった部分

ゴガクが好きな理由、として何度かこのブログにも書いた気がするけど、私は「コトバそのもの」に結構興味がある。コトバというカタチの裏側にあるニンゲンらしさ、というか。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

それって、民俗学の領域でもあったのかー

 

最近は特に、宗教以前の「信仰」と、その源になっていたものについてすごく気になっているわけだけど。確かにそれはザ・民俗学だな。

『名前の変化、言葉の変化をさかのぼりながら、その時に生きた人が何に心を震わせて、何を願って、結果としてどんなカタチが残っているのか。そして消えてしまったのか。そこにロマンを感じるわけです。』

 

この本では場所の記憶、集合意識が生み出す像(=妖怪や伝承のモト)について何度も書かれていて、東日本大震災に絡む話も多い。そのことについて16章 大震災の「失せ物」という章で表現されていた一文がなぜかグサッときた。

 

忘れようとしても 思い出せない。

 

 バカボンパパの、よく知られた不条理発言がある。しかしこれは赤塚不二夫のオリジナルではなく、上方漫才の大御所「唄子・啓助」の鳳啓助のギャグである。記憶を忘却し、失ってしまうことに対する不安を、これほど不気味に表した言葉は、ほかにないだろう。「忘却しようとしても何を忘却すべきか想起できない」という解釈もなされるけど、考えるだけで胸がざわざわし、心が落ち着かなくなる言葉だ。

 

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

昔、「忘れていくことを忘れてしまう」悲しさというか虚しさに大泣きする、という変な夢を見た。あれは亡くなったじーちゃんの夢だった。ニンゲンは3次元に生きている限り「時間を傍観する」ことができないんだけど、ひょっとしたら夢の世界なら次元を超えることもできるのかもしれない。

 

sonogono.jugem.jp

もうひとつ、夢と記憶と時間に関する不思議な夢のハナシ↓

sonogono.jugem.jp

 

わたしたちの感情は、政治や経済とどのような関係にあるのか。感情にもとづく文化は字や経済に左右されるのか、あるいは左右する力を持っているのか。社会について考えていくいうえで、民俗学は基礎になるべき学問であり、方法になりうるものだとわたしは考える。そのためには二十一世紀の民俗学境界線上にあるものごとどのような領域に属するか定まっていないものごとを対象にしていかなければならない。さまざまな局面で対立軸だと思われていること、生者と死者、人間と動植物、保守とリベラルといったものを超えた視点が求められている

 

 

カタチある現象と、カタチなき世界の境界線を探る、というのは私の興味の方向性でもある。ふたつの対立を超えた視点、上の次元の視点を持つこと、を孔子は「」で表現した。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

8年前にも、「記憶」ってなんなのか一生懸命考えて(?)いたことがあった。変な絵。




全然関係ないけど、POCASTはじめました。(笑)

starship.hateblo.jp

【中国語】耳から思い出す

英語はサークルのおかげで(細々と)聞く×話す練習を継続できているけど、しばらくご無沙汰していた中国語!「はい、喋って!」と言われても詰まるけど、耳で聞くと結構思い出せるもんで、久々に中国語フレーズブックのCDを聞いた晩は「中国語で台湾語を台湾人の友達に教えてもらってる」っちゅうめっちゃ楽しい夢を見ました。

 

CD BOOK 台湾語会話フレーズブック

CD BOOK 台湾語会話フレーズブック

 

 

 さてそんな私をどこでのぞき見していたのか、Youtubeのオススメに出てきたこの動画。Yoyoお姉さん!!!


[LIVE] Differences Between Mainland Chinese and Taiwanese Mandarin | Learn Chinese with Yoyo Chinese

Yoyo先生は私が中国語をゼロからスタートしたときにお世話になったYoutubeチャンネル。美人だし、英語もとってもクリアで聞き取りやすい。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

久々に見ると楽しい語学チャンネル。 


Languages you learn | Easy Taiwanese Mandarin 8

このシリーズはとってもいい!町の人にインタビューしているから、間の取り方とか相槌の仕方、自然なスピード、言い回しがっけちゃうってわけ。しかも字幕は中国語と英語、それからピンインまである。

 

 

言語学習でも効率がいいのは、ひとつの言語をまとまった時間集中して取り組むこと。離れている間はやっぱり忘れてしまうけど、ある程度の基礎が固まっていればちょっと練習したら思い出せる!

 

sonogono.jugem.jp

 

むか~しのブログ↑から引用すると

*優先順位がハッキリしていれば全部の言語がちゃんぽんになることはない

*外国語Aがあやふやな状態で外国語Bを学習すると効率が悪い*あれこれ同時にせずにまとまった時間をひとつの言語に集中すれば混乱しにくい

*複数の言語も準備体操をすれば切り替えがスムーズになる

*似た系統の言語なら、外国語A(既に基礎が固まっている)で B(新しく始める外国語)を勉強することによって同時に学習できる 

 

でもペルシャ語とかは間隔があきすぎて準備体操レベルじゃぜんっぜん取り返せない。元々の基礎力が弱いからってのもあるけど。

正解のない問い!

1人を橋から突き落とせば5人の命が助かる。さぁ、どうする?
wired.jp

この思考実験、母国語と外国語で判断結果に差が出るよ、ってことが書いてあるのが上の記事。より感情(人間的な本能)に結びつくのは母国語、って結論。これを読むと、一人を犠牲にして多い人数を助けること=論理的=正しい判断のように読めちゃう気がするのは私だけ・・・???

 

もちろん「どっちが正しいか」を問う問題じゃないんだけどね。正解のない問いに、どう向き合うか、が問われるのがこういった「哲学」の問い。

 

 

考える力をつける哲学問題集 (ちくま学芸文庫)

考える力をつける哲学問題集 (ちくま学芸文庫)

 

 

社会(学校)で測られる個人の「賢さ」の尺度が「定められた解を正確に答えるチカラ」であるから「正解のない問いがある」こと、むしろ「人生で何度も直面するであろう悩みのほとんどが正解のない問い」なんだということも忘れがちになってしまう。 

 

ひとつの「解」が定まってない「問」に対して放り出さずに考えるチカラ。目に見える成果・結果だけを求めてしまうと、このチカラを伸ばすどころか押さえつけてしまう危険性がある。

 

最近は、そういうチカラを非認知能力とかGRITとか言って、幼児教育の重要性についての認識も高まってきたけど。子どもたちに身につけてほしいなら、大人もね、鍛えないといけない。