ことばのおもしろさ研究所

語学好きな母ちゃんが、子どもの言葉の成長と外国語学習の奥深さ、心に響いた本なんかを記録しているブログ。

結局なんのために「教育」はあるのか

ここ最近、英語教育ネタで読んだ本たちメモ。

 

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「小さい頃から英語はさせねば!!」ムーブメントと、そのハウツー本。それから「公教育の英語改革の方向それナイわー!」って本を中心に、貪るように読んでました。

 

 

世界で活躍する子の<英語力>の育て方

世界で活躍する子の<英語力>の育て方

  • 作者:船津 徹
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2019/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

第一章は「英語できないと将来ヤバイよ」って煽り。私が大嫌いな、コンプレックスや不安をモチベーションにする商戦。続く第二章は、英語できたらこんなにスバラシイよってはなし。教育関連のハウツー本はこの構成多い気がするんだけど、なんかテンプレートあるのかな。

 

第三章はから具体的な実践例。ここは面白かったよ!表面的な発話のウマさ(英会話)じゃなくて知的活動、学習能力に結びつく英語力を身につけるのを目標にした、年齢別アプローチ。軸となるのは「リーディング」。

自分で読むことができるようになれば自走可能だからね、うんうん。

 

語学能力って結局のところ「教える」ことは出来ないし、子供のうち、学生のうちに一定期間学んで終わり(完成)、には絶対ならない。常に、過程。

 

だから教育者側として意識しないといけないのは、「自ら学びつづけることができる」ようになるための訓練なのかもしれない。

 

この本でも幼児期に関しては「親子の関係」と「豊かな日本語環境」を大前提にしてる。歌や絵本はもう誰もが言ってるアプローチだけど、演劇って視点は新鮮だった!!確かに、彼らは真似っ子大好き。身体でコトバが使われている場面を再構築して、何度も何度も繰り返しながら、それを自分のものにしていく姿をよく目にする。

 

 

ことばが子どもの未来をひらく

ことばが子どもの未来をひらく

 

これまでのテスト体制で「優秀」な成績をとるのは、相手に合わせる従順で用心深い人間。優秀な指示待ち族を量産するのに効率がいいシステム。

 

最近浸透してきた(まだかな?)この考え方も、1997年からずっと言われてきたことなのか。

 

このひつじ英語教育ブックレットは、おもしろかった!!!!!

英語教育を引き下げることをずっと反対してきた英語や言語の専門家たちが、どうしてもやるならこういう風にしていかないと、ってまとめてる。単純に新しい取り組み、外国語に「否!」って言ってるわけじゃなくて、古臭い主張ってわけでもない。どっちかってと、SLA第二言語習得理論)だったりCLIL(内容言語統合型学習、これから政府が取り入れようとしている外国語教育の指標)を踏まえて、日本の教育が進む方向を危惧しているって内容。

 

マルチリンガル(multilingualism)主義がヒューヒュー言われるようになったけど、外国語教育で目指す能力は複言語主義(pluralingualism)がイチオシ!

 

複言語主義って初めて聞いた。目指す方向性は自立した学習者を育成する教育。

 

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中心に据えるべき柱は、コトバの運用能力。その力を育成するには、母国語の訓練ももちろんそうなんだけど、外国語学習は有効なツールになるのだ。有効なツールとするか有害な洗脳になるかは、まず教育観(マインド)を改める必要がある。

 

ブックレットは薄っぺらいし、講演会の内容を書き起こしたものと対談が収録されているから、すぐ読めちゃうよ。英語教育に関心がある人読んでみたら面白いと思う。

 

 

学校を変える力――イースト・ハーレムの小さな挑戦

学校を変える力――イースト・ハーレムの小さな挑戦

 

 学校教育、というくくりで。

パブリックスクール、私立じゃなくあえて公立学校だからこそ、という視点で書かれた教育者の本。

 

人は、さまざまなアイディアを模索しいろいろなことに挑戦する自由を保障されているときに、みずからの力をもっとよい形で発揮できるものである。そのためには、一人ひとりの意見が大切に扱われる場所が存在していなくてはならない。

 

対話の原則。教育の現場だけでなくても、コミュニティでとりくむ方法もある。こども哲学や、対話の場。いつかやってみたいな~~~と思ってる!

 

こども哲学ハンドブック 自由に考え、自由に話す場のつくり方

こども哲学ハンドブック 自由に考え、自由に話す場のつくり方

 

 

さまざまな考え方の違いをすりあわせる努力をすることは、九九を早く覚えることよりもずっと大切なことだと思う。(もちろん、九九を早く覚えることも悪いわけではないが。)これは国家の経済的繁栄にとっても大切であるだけでなく、将来市民として活きるためにも絶対に必要なことである。

 

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

ひつじ英語教育ブックレットでも推奨されていたけど、少人数の縦割りグループは「学習」 に最適な形態・・・なのに、実際に取り入れられているのは幼稚園か、特殊な私立学校ぐらいなんじゃないかな?

 

我々は当初から、保護者を重視する学校づくりをしようと考えていた。まず、子どもたちが安心できる学校づくりを目指した。安心感が無ければ、知的な活動でリスクを冒して何かやってみようとは思えない。学校のやることに不信感を抱いている子供が自分の可能性をフルに発揮することなどありえない。学校が安心できる場所であるためには、両親が学校を信頼していることを子どもたちが自覚していなければならないのである。非常に難しいことだと思うが、これは絶対に必要なことである。

 

保護者をサービス業のお客さん、にしてしまうとこれがなかなかうまくいかない!やっぱり出発地点で方針をちゃんと理解・納得してもらわないと。

 

結局、多くの人が一番難しいと感じるのは、世界を他の人の視点で見ることができるようになるまで、十分時間をかけて他人の立場に身をおいてみるということではないでしょうか。

 

演劇って、これができるいい場になるってことで平田オリザさんが言ってた気がする。コミュニケーションの教室だったか、学生向けのワークショップもしてるのかな?

 

sonogono.jugem.jp

 

「やる気にあふれている者は、別の文化を全面的に受け入れることが出来る。たとえそれがどんなに『異質』に見えようとも」と、著名なアフリカ系アメリカ人の作家であり文芸評論家でもあるヘンリー・ルイス・ゲイツが述べている。彼はこう続けている。「しかし、尊敬のないところに寛容はなく、知識のないところには尊敬はない

 

大切なのは、教育、すなわち何の ために 我々は教育を行っているのかということを自覚することである。具体的な目標は、教育の目的に基づいて定められなくてはならない。「何のために」ということをはっきりさせない限り、いくら教育について語っても、虚しく聞こえるだけである。

 

最後に、著者の学校で学生に口を酸っぱく伝えている大事な「知的な習慣(intellectual habits)」をメモして、パソコン消してお風呂に入ろう!!


1)証拠(どうしてそれがわかるのか)
2)視点(だれが何のために言ったことか)
3)因果関係(何が原因か、他に何が起こったか)
4)仮説(もし、仮にそうだとすると)

 

Thank you for reading☆彡

46億年のカレンダー

ニンゲンの一生を24時間に置き換えると

自分の年齢を3で割った数が「今何時?」にあたる。

 

私は午前の活動にエンジンがかかってきたころ。

 

 

地球46億年の歴史を1年に置き換えると・・・


【地球のうた2014】 46億年のカレンダー

 

12月11日 大陸の形成、大きな陸地が生まれ

12月14日 最古の哺乳類が登場し

12月15日 大陸が分裂を始め

12月25日 恐竜が全盛期を謳歌する時代が訪れたと思ったら

12月26日 巨大隕石の衝突によって恐竜は絶滅

12月29日 もう年も暮れ頃、人類の祖先がようやく現れ

12月31日

 19時 人は道具を使うようになり

 20時半 火を使うようになり

 23時58分 農耕牧畜が始まり

 23時59分 キリスト降臨

 23時59分58秒 産業革命

 23時59分59秒 第一次世界大戦

        第二次世界大戦、原爆、原発事故、震災 e.t.c...

 

年末の怒涛ラッシュときたら、もう。

秒単位、コンマ何秒の世界だぜ。

 

 


【サピエンス全史】1200万部突破の世界的ベストセラーを世界一わかりやすく解説〜上巻〜

 

 

そういえば、「農業の歴史は意外と浅く、ニンゲンは長いこと狩猟採集で生きてきた」ってハナシが↓の本にも出てきたな。これは食についてじゃなくて、教育(人間が自然に学習するプロセス)について書いてる本だけど。

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

 

「日本人は農耕民族」・・・ってのも「洗脳」だって主張があるよ。

長いスパンで見れば、日本人は狩猟採集に近いスタイルで生活している期間のほうが圧倒的に長かったから。農業は数ある職種の中の一つに過ぎなかった。政治的理由で土地に人を固定する必要があって、表向きは農耕民族ってスタイルに落ち着いた。

 

このハナシもおもしろいな~!って思うんだけど、誰のハナシだったか忘れちゃった。

 

 

言語の歴史についても、話し言葉(もしかしたら歌)が大部分で、書き言葉は上澄みレベルの歴史しかない。もともと身体表現の一部だった言葉が、視覚記号的要素ばっかり膨らんできた(そしてそれに振り回される)ようになった・・・ってハナシが書いてあったのはどの本だったかなぁ。

 

コトバに振り回されてる現代人、についてこの本は面白かった!

ライフワークの思想 (ちくま文庫)

ライフワークの思想 (ちくま文庫)

 

この本も、人生を捉える視点が変わるくらい衝撃を受けた一冊。 

これはまたじっくり精読してブログにもまとめたい。

 

 

 

教材の吹込み音声でもなく、セリフでもなく、感情のこもってるコトバは、なんというかインパクトが強い。音楽も。インパクトが強いから、人を惹きつけたり動かしたり、反響がある。

 

感情を意識的に込めたコトバじゃなくて、身体の一部になっているコトバがいちばん強い。それができるのはやっぱり母語なんだと思う。

 

 

国語学習でもさ、「生の表現」とか「生きたコトバ」って言うじゃない。英語ネイティブはこう言います、みたいな。それって、英語ネイティブが英語で言うから「生の表現」なわけで、それを日本人の私が一生懸命なぞったところで「生のコトバ」にゃならんよね、って思うんだけど。どうなの?

 

 

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そのほんまもんの「コトバ力」が外国語習得にもふか~~く影響している、ってのはもうあちこちで言われてること。でもそれって、どうやって磨けばいいの?子どもの教育もそうだけど、大人は?

 

ムズカシイことを頭の中でいっぱいいっぱいいーーーぱい考えること、ってわけでもなさそうよ。知識や情報を蓄えるのも違う。本をたくさん読めば「コトバ」のインプットは増えるのは、まあそうなんだけど、なんてったって人を動かすような、力強いコトバは感情、身体と一致した言動にある。Body×Mind×Spiritの世界ですな。

 

ってことは、感情も身体も「熟」させないことにはコトバのチカラは底上げできない、はず。身体の鍛え方は言わずもがな、かな。あ~・・・とりあえず、歩こう。(ランニングデビューするほどの気力は、今の私には無い!!!!笑)

 

感情のエネルギーはすごい。抑えつけずに、振り回されずに、そのエネルギーをコトバで運搬するには「スキル」が必要。感情に向き合うだけでも一苦労なのに。

 

そうそう、もうすぐ4歳になる息子も「感情vs理性」の闘い真っただ中。癇癪や不機嫌をどうケアするのか?ルールや強いものにしたがって感情を押し殺したり我慢するのは本当にイイことなのか?

 

このタイミングだからこそ、私が学ばなくちゃいかんのだろうな。。。子どもにはほんと、イタイところを突かれる。想像を絶するストレスだぜ。(その分向き合ったときの成長力は半端ない、ことを期待)

 

子どもを相手にすると、コンフォートゾーンでぬくぬくなんてしてられない。

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「まじで器ちっせぇ」私には、ほんとキツい。

そんな「器のちっせぇ」私を支えてくれる主人に感謝(-人-)

「TODAY IS A GIFT」贈り物と分かち合いの世界へ

あけましておめでとうございます。

2019年イチバン衝撃を受けた本を、ブログの下書きに保存したままずーーっと紹介できずにいました。もっとじっくり、何回も何回も読み返して消化したい気持ちもあるのですが、心に響いた文章を書き留めただけの下書きを、ひとまず公開します。

 

ネイティブ・アメリカンの植物学者が語る 科学・癒し・伝承』

植物と叡智の守り人

植物と叡智の守り人

 

 原題は「Braiding Sweetgrass(スイートグラスを編む)」

Braiding Sweetgrass: Indigenous Wisdom, Scientific Knowledge and the Teachings of Plants

Braiding Sweetgrass: Indigenous Wisdom, Scientific Knowledge and the Teachings of Plants

 

 

感傷的でもなく、真面目くさってもいない、「原っぱと森のにおいがする」エッセイです。ネイティブ・アメリカンというルーツと、科学者というふたつのギャップがある立場から見た「自然」へのまなざしが、新鮮なようで心の奥深くにある小さい頃の思い出を呼び起こされるような、懐かしさも感じさせてくれます。

 

 

アミミドロは、魚や昆虫にとっての安全地帯だ。養魚場であり、捕食動物からの避難所であり、池の小さな生き物たちにとってのセーフティーネットなのである。

アミミドロ、Hydrodoctyonというラテン語は、「水網」と言う意味だ。なんと奇妙なのだろう、魚網は魚を捕まえ、虫網は虫を捕まえるのに、水網は何も捉えられない---そこに留めておくことのできないもの以外は。

母親であると言うこともそれに似ている。生きた糸が愛情込めて包み込むものは決してそこに留めておくことができず、いつかはその網目から出て行ってしまうのだ

 

 子どもの成長を見守る母親の心境も。同じく母親としてその切ない心境に共感したのか?自分自身人の子として、大きな母の愛情に(そして当たり前の存在すぎて気付けていなかった眼差しに)心打たれたのか?

 

ポタワトミ族では、女性は「水の守り人」だ。

儀式では、女性が聖水を運び、水のために行動する。「女性はもともと水とのつながりが強いんだよ、だって、水も、女性も、生命の担い手だもの」と妹は言う。

「女性は体の中の池で子供を育てるし、赤ん坊は水の流れに乗ってこの世に生まれてくるの。すべての生き物のために水を守るのは私たちの責任なのよ」いい母親であると言うことには、水を守ることも含まれるのだ。

 

象徴的な「水」だけじゃなくて、物理的な水も、守る役目があります。蛇口をひねれば水が出る。当たり前すぎてマヒしている感覚にハッとします。

 

ポーラ・アレン・ガランは著書『Grandmothers of The Light』の中で、女性は人生の様々な段階4螺旋を描くように通過していきながら、まるで月の満ち欠けを繰り返すようにその役割を変化させていく、と書いている。

 

螺旋はどんどん大きく広がって、賢明な女性の教えは、彼女自身や家族という枠を超え、人間と言う共同体を超え、この惑星を包み込んで地球の果てなるのだ。

 

「器」が大きくなるって、そういうことなんだよなー。女に限らず。

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本書には「贈り物」というキーワードが随所に出てきます。

 

贈り物は、あなたが何もしなくても無償でやってくる---招かれもせずに、あなたの元へ。
それはご褒美ではない。努力に対する報酬ではないし、それを呼び寄せることもできないし、努力によってそれを受け取るに値する存在になれるわけでもない。 

 

贈り物と言うのは、人を謙虚にさせる神秘的なものだ。不特定の人に向けられた親切な行為と同じく、それがどこから来るのか私たちは知らない。

 

見返りを求めない、無償のプレゼント。シェアするということ。 

「奪い合い」の競争世界から、「分かち合い」の共助世界へ

 


経済学者のルイス・ハイド「贈与経済」という考え方が紹介されています。

ものが豊富であり続けるのは、それが贈り物として扱われるから

 

秩序立ったギブアンドテイクの関係であり、人間が自然の増加に参画し、依存していることを認識する。自分の一部として自然に接し、搾取対象となる他者、よそ者とは考えない。取引の手段として好まれるのは贈り物の交換である。それによって、(自然の)増大と調和し、あるいはそれに関与できるからだ

 

あれ、これってGiverのハナシ?!グローバルマインドにも繋がってることに気付きました。そしてPay forwardの世界観。

 

blog.tatsuru.com

 

贈与経済、でググってみたらグローバルマインドの記事でも紹介した内田樹氏のウェブサイト記事が出てきました。気になる本を読んでたら出てくるし、好きなブロガーさんも紹介してるし、武道家だし、語学哲学の専門家だしで、もうファンになっちゃったよワタシ。。。

 

内田樹氏の記事では贈与経済をこんなふうに表現してます。

贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」するということです。それだけ。
「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。

 

今は夢物語に聞こえるかも知れませんけれど、僕は「交換から贈与へ」という経済活動の大きな流れそのものはもう変わりようがないと思っています。

 

内田樹氏は贈与経済が成り立つ前提に「相互扶助的なネットワーク」を挙げてます。今、私がボランティアで携わってる活動も「地域の相互扶助的なネットワークづくり」なので、繋がってることが嬉しいです。

 

大人が作ろうとしている社会のカタチ、を完成形じゃなくても子どもに見せてあげたい。むしろ私たちは常に「プロセス」にあるわけだから、どっちに進みたいのか、という意図が重要なんだと強く思います。

 

「贈り物経済」が成り立つ社会。セーフティネットが自然と作れる社会。価値観や文化背景が違う相手でも、必要な時に手を差し伸べて、困った時は声を挙げられて、周囲もそれにこたえてくれる社会。

 

さて本書に戻ります。

 

 

私たちは日々たくさんの贈り物受け取っているけれど、それは私たちがずっと持っているためではない。贈り物は動いていてこそ生命を宿すのだ。私たちが分かち合う呼気と吸気のように。

贈り物を次の人に伝え、この宇宙に自分が差し出すものは必ず戻ってくる。そう信じることこそが私たちの仕事であり、そして私たちの喜びなのだ。

 

人間同士の、そして自然(それから超自然)に対する信頼感と愛!本当は難しいことなんじゃない、はず。

 

私たち一人ひとりにできる1番大切な事は、自分だけに与えられた力は何であるかを知り、それをこの世界でどうやって使うか、ということだ

個性は大切であり、大事に育てられる。なぜなら部族全体の繁栄のためには、私たち一人一人がありのままに強くあり、与えられた力を自信を持って掲げ、他者と分かち合わなければならないからだ。

 

この「与えられた力」を競争社会のモノサシで見ると、「誰かと比べてより優れているスキル」になってしまう。 個性は大げさでもなんでもなく「宇宙からのギフト」。カテゴライズされた性格やパターンともまた違う。

 

自分自身に与えられた才能がどういうものであり、どうしたらそれをこの世界のために使えるかを学ぶ。それこそが教育の目的ではないだろうか?

 

一人一人がありのままに強くあり、与えられた力を自信をもって掲げ、他者と分かち合う。 今の教育システムは「奪い合い経済」がベースになっているけど・・・

 

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

 

理想論ばっかり、現状に対する批判ばっかり、だとヤんなっちゃうけど、最終的に到達したいゴールをリアルにイメージして、そこから逆算して現実を「選択」する、って生き方をしたいのです。 

 

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